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<title>パパイヤ光太郎こと、宮里芳和でございます。</title>
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<description>パパイヤ光太郎が座間味村から旬な情報をお届けいたします。</description>
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<title>座間味村よりハイサイです。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　　　座間味村よりハイタイ　　　　　　　慶留間幼小中学校小鳩会　　　　　大村華蓮さん（十四才）　　　　　糸嶺彩華さん（十三才）　　　　　大村真生くん（十一才）　村民大運動会においての演技でエイサーを演じて会場より、盛んな拍手がおくられ、満足そうな小鳩会長の大村華蓮さん・副会長の糸嶺彩華さん・同副会長の大村真生くん。　私達の学校は幼稚園児と小中学校入れて十八人のミニ校であるが学
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　　　　座間味村よりハイタイ<br />　　　　　　　慶留間幼小中学校小鳩会<br />　　<br />　　　大村華蓮さん（十四才）　　<br />　　　糸嶺彩華さん（十三才）　　<br />　　　大村真生くん（十一才）<br /><br />　村民大運動会においての演技でエイサーを演じて会場より、盛んな拍手がおくられ、満足そうな小鳩会長の大村華蓮さん・副会長の糸嶺彩華さん・同副会長の大村真生くん。<br /><br />　私達の学校は幼稚園児と小中学校入れて十八人のミニ校であるが学校と地域の連携が素晴らしくて大好きなんです。その事から小鳩会と名付けて学校での総合的学習や地域活動を行っています。<br /><br />　今回の村民運動会のエイサー演技はいろいろ工夫しました。表現力を付けるために足の高さを上げて笑顔を満弁に表す事を私達役員は絶えず指導してきました。盛り上がりを見せたのが「チヨンダラー」が滑稽に演じたことも最高でしたと３人は語った。　　<br /><br />　　写真は左より、大村真生くん・糸嶺彩華さん・大村華蓮さん<br /><a href="http://blog-imgs-36.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC06494.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC06494.jpg" alt="DSC06494.jpg" border="0" width="389" height="292" /></a><br /><br />　　　　<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T11:03:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村の戦争の話です。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　　　　　　　阿嘉島での戦争の話です（２３回目）　　　　「敵」と化した日本軍（２回目）　米軍が阿嘉島を占領後、海峡には大小千隻以上の艦船と水上機、百機余りが停泊し、沖縄本島攻撃に出入りする艦船が手にとるように見えたのでした。　時折、日本軍の特攻機が飛来し、勇敢に敵艦に体当たり炎上する光景を木々の合間からながめながら、住民は涙して拍手したものでした。しかし、海峡を埋め尽くした大
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br />　　　　　　<br />　　阿嘉島での戦争の話です（２３回目）<br />　　　　「敵」と化した日本軍（２回目）<br /><br />　米軍が阿嘉島を占領後、海峡には大小千隻以上の艦船と水上機、百機余りが停泊し、沖縄本島攻撃に出入りする艦船が手にとるように見えたのでした。<br /><br />　時折、日本軍の特攻機が飛来し、勇敢に敵艦に体当たり炎上する光景を木々の合間からながめながら、住民は涙して拍手したものでした。しかし、海峡を埋め尽くした大艦隊の前には、焼け石に水という感じで、むしろむなしさを覚えたのでした。米軍は、昼間は陸上で警戒態勢をとり、夜になると艦へ帰るという日課をくり返す毎日でした。<br /><br />　その後、住民はスギ山の平坦地で木やカヤを使って各自の小屋を建て、日本軍もその近くで陣地を構え、長期戦に臨んだのでした。<br /><br />　３月２６日の米軍の上陸の時に捕虜になっていた老夫婦はアメリカ軍に介護され自分の家で過ごしていたのですか、日本軍に発見され山の本部の壕に連行されたのでした。<br /><br />　老夫婦は足が悪く、みんなと行動が出来ないことから、後、幾ばくもない人生どうせ死ぬのなら自分の家で死のうと覚悟したのでした。<br /><br />　アメリカ軍が上陸したとき、この老夫婦は助けられて食料を沢山もらい過ごしていたのを日本軍に見つかりアメリカ製品を持っているとの理由により、スパイ扱いにされて連行されたのでした。<br /><br />　二人は食料に事欠くことなく、米軍から充分なもてなしを受けていたようだか、それを日本軍に見つかったという訳でした。<br /><br />　山の本部に連行された二人は、根堀は堀、尋問された後、いったん住民の人びとの所に帰されて解放されたように見えましたが、ところが再び呼び出され、妻が本土出身であるとか、フイリッピン帰りであるかとか、島の人とは違う経歴を持っているなどを理由にスパイ容疑がかけられたのでした。<br /><br />　島の人達の目撃者の話では、殴る蹴るのひどい拷問にあったのでした。住民は老夫婦の安否を気遣って待ち続けたのでしたが、とうとう帰って来なかったのでした。<br /><br />　そして、次の日、本部近くの道路の側の、おじいさんが軍刀で首をきられ、おばあさんは刺し殺された状態で埋められているのを住民が見つけたのでした。<br /><br />　あまりにもひどい日本軍の仕打ちに対し住民は悲しみを通り超して、怒りに震えたのでした。<br /><br />　　　　　　　　　　　続きは次回、連続します<br /><br />   現在の阿嘉島集落の上空の写真です。<br /><a href="http://blog-imgs-36.fc2.com/z/a/m/zamami/P1010116.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36.fc2.com/z/a/m/zamami/P1010116.jpg" alt="P1010116.jpg" border="0" width="341" height="256" /></a><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T10:04:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村の戦争の話です。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　　阿嘉島の戦争の話です（２２回目）　　　　（「敵」と化した日本軍）　昭和１９年１０月１０日、とうとう恐れていた米軍の空襲が始まった。最初、日本軍の演習とばっかり、空を見上げていた部落民も、いつもと違う様相と、両翼の星のマークに「空襲だー」と右住左住、くもの子を散らしたように、それぞれの壕へと駆け込んだのでした。　この空襲で、阿嘉の住民２人が負傷した。　海峡では、停泊中の日本
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　　　阿嘉島の戦争の話です（２２回目）<br />　　　　（「敵」と化した日本軍）<br />　昭和１９年１０月１０日、とうとう恐れていた米軍の空襲が始まった。最初、日本軍の演習とばっかり、空を見上げていた部落民も、いつもと違う様相と、両翼の星のマークに「空襲だー」と右住左住、くもの子を散らしたように、それぞれの壕へと駆け込んだのでした。<br /><br />　この空襲で、阿嘉の住民２人が負傷した。<br /><br />　海峡では、停泊中の日本軍の輸送船十数隻が撃沈され、叉、沖縄本島に配属されていた。日本軍に徴用されていた鰹漁業船、盛興丸が那覇港近くの神山島付近で爆撃をうけて沈没し、行方不明３名をだしたのでした。<br /><br />　昭和２０年にはいってからは、空襲の数が更に増えるようになり、住民は仕事も手につかず、田植えの時期が過ぎても一向に植え付ける様子がみられなかった。こうした時期に、農業専門の教育を受けてたという鈴木茂治大尉が、自らの陣頭指揮のもと、住民を励まし島の有力者をリーダーとして田植えを実施して終了したのでした。<br /><br />　３月２３日より本格的な空襲が始まり、住民は取るものもとりあえず、その日から壕での避難生活が始まったのでした。<br /><br />　叉、日本軍では、食料倉庫が焼けて米の約半分程を失ってしまったのでした。更に残った米は、壊された畜舎から逃げした豚や牛などが食い荒らすようになり、防衛隊が銃撃と砲弾の間をぬって日本軍の壕へと運んだのでした。<br /><br />　３月２６日、前日から空襲に艦砲射撃が加わるようになり、島ごと吹っ飛ぶかのような猛攻撃が続いたのでした。とうとうその日の午前８時頃に米軍艦船は波静かな海峡に錨を下ろして停泊して、集落の通称「前の浜」の海岸より上陸を開始したのでした。その時は住民の５人が米軍の銃撃によって射殺されて、老人夫婦が捕虜となり保護されたのでした。<br /><br />　３月２７日、日本軍より、スギ山の谷間の広場に全住民集合の伝令が発せられて。住民達は集まったのでした。<br /><br />　もうこの戦況化では戦力が原始爆弾を抱えてるような米軍と小銃での戦いの日本軍では到底、勝ち目はないものと誰しもが思うようになり。もはや玉砕以外ないということで全員が広場に集まって機関銃を前に「みんな一緒だから怖くはないよ」と、家族同士ささやきあっていたのでした。<br /><br />　ところが「集団自決」寸前になって、防衛隊の伝令で「米軍は撤退したから自決することはよせ」ということになり、その場は解散することになったのでした。<br />　　　　　　　　　　　　　　　　続きは次回、連続します。<br />写真は３月２６日午前阿嘉島を上陸する米兵達です。<br /><a href="http://blog-imgs-36.fc2.com/z/a/m/zamami/20091122143653403.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36.fc2.com/z/a/m/zamami/20091122143653403.jpg" alt="阿嘉上陸" border="0" width="389" height="292" /></a><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-11-22T14:37:12+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村よりハイサイの紹介です。</title>
<description> 座間味うりずんです。座間味村よりハイサイ　　          ハイタイ　阿嘉五十七番地　　金城奈美さん（十五才）　阿嘉一五一番地    当間裕大君（十五才）　　座間味村立阿嘉中学校の生徒会長の金城奈美さん、と副会長の当間裕大君は運動会が終了して一輪車競技が全員が満足できる競技が出来たので本当に嬉しいのです。　生徒会役員として、成し遂げた達成感は、この島でしか出来ません。と二人は語った。　叉、島の自然環境を利用
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />座間味村よりハイサイ<br />　　          ハイタイ<br />　阿嘉五十七番地<br />　　金城奈美さん（十五才）<br />　阿嘉一五一番地<br />    当間裕大君（十五才）<br />　<br />　座間味村立阿嘉中学校の生徒会長の金城奈美さん、と副会長の当間裕大君は運動会が終了して一輪車競技が全員が満足できる競技が出来たので本当に嬉しいのです。<br /><br />　生徒会役員として、成し遂げた達成感は、この島でしか出来ません。と二人は語った。<br /><br />　叉、島の自然環境を利用しての総合学習事業の一環としての地域の人達の協力で体験ダイビングなどもこの島でしか経験出来ないとこで、「阿嘉島最高」阿嘉中学校生徒として大変誇りにしています。<br /><br />　この島の素晴らしさに感謝し古里をいつまでも大事にしますと更に延べた。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC06495.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC06495.jpg" alt="DSC06495.jpg" border="0" width="389" height="292" /></a><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-11-05T13:26:41+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>座間味島でタキノボリ行事がありました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　座間味村座間味、阿真、阿佐の３ヶ字の伝統行事「タキノボリ」が１１月２日に区民総出で盛大に行われた。　この日は朝早くから各家庭ではごちそうを作り、阿佐区にある山の中腹にある拝所で山の神々に家内安全、五穀豊穣、航海安全などを祈願。琉球王朝時代の蔡温の時代に森林を保護するために行われた行事と伝えられており、約三百年の伝統があるという。座間味島では三大行事の一つでもあります。　住民ら
 </description>
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　座間味村座間味、阿真、阿佐の３ヶ字の伝統行事「タキノボリ」が１１月２日に区民総出で盛大に行われた。<br /><br />　この日は朝早くから各家庭ではごちそうを作り、阿佐区にある山の中腹にある拝所で山の神々に家内安全、五穀豊穣、航海安全などを祈願。琉球王朝時代の蔡温の時代に森林を保護するために行われた行事と伝えられており、約三百年の伝統があるという。座間味島では三大行事の一つでもあります。<br /><br />　住民らは阿佐区にある４つの拝所に分かれて訪れ、各自が山の神に祈る。一番高い山麓にある拝所の「ウフタキ」では例年にない住民や観光客も大勢参加して賑わいを見せました。<br /><br />　祈願が終了後、拝所の関係者より行事の云われの説明がなされて、その後、三味線によるカチャーシーなども飛び出し賑わいを見せました。<br /><br />　四ヶ所の拝所を訪れた住民らは、午後からは同じ阿佐区にある「殿（とん）」と呼ばれる拝所に集まり神々に礼拝し、無事「タキノボリ」行事が済んだことを報告してそこでもカチャーシーなどを踊り遅くまで賑わいを見せた。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20091104082243d73.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20091104082243d73.jpg" alt="岳登り" border="0" width="389" height="292" /></a><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-11-04T08:22:52+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村で大運動会が開催されました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　「広めよう・親睦と交流の輪」をテーマに、第３２回座間味村民大運動会（大会長・宮里哲村長）が１０月３１日、座間味港緑地公園グラウンドで午前９時より盛大に開催された。　座間味村は有人島が３島ある。日ごろ顔を合わすことが少ないため、年に一度の運動会は各島の村民の交流を深める場になっている。　村の人口は千名たらずに対して約六百五十人が参加して大いに盛り上がりを見せた。　運動会は幼児
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　　「広めよう・親睦と交流の輪」をテーマに、第３２回座間味村民大運動会（大会長・宮里哲村長）が１０月３１日、座間味港緑地公園グラウンドで午前９時より盛大に開催された。<br /><br />　座間味村は有人島が３島ある。日ごろ顔を合わすことが少ないため、年に一度の運動会は各島の村民の交流を深める場になっている。<br /><br />　村の人口は千名たらずに対して約六百五十人が参加して大いに盛り上がりを見せた。　運動会は幼児からお年寄りまでを対象にした種目があり、盛んな声援が飛んだ。<br /><br />　その中でも特に慶留間幼小中学校生徒達と教職員全員でのエイサー演技は圧巻で会場より盛大な拍手があった。<br /><br />  昼食を利用してのお楽しみ抽選会もあり、生活に密着した商品で村民より大変喜ばれた。叉、運動会最後の種目である五ヶ字区対抗の綱引きは応援合戦にも力が入り運動会が一気に盛り上がりました。<br /><br />  運動会終了後、各字区においてご苦労さん会なども開催されて座間味村はその日遅くまで賑わいを見せました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20091104081524aa2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20091104081524aa2.jpg" alt="綱引き" border="0" width="389" height="292" /></a><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-11-04T08:15:37+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>最近においてキノコがよく見られます。</title>
<description> 座間味うりずんでです　最近よくキノコがはえているのを発見します。高月山頂上付近に沢山生えています。　去った台風によって雨が降ったのと気温が涼しくなった影響によって生えて居るのでしょう。今日、散歩していたらカネクアパートの後ろのバナナ園で黄色いキノコが見つかりました。私は始めて見ました。最近、座間味村においては野鳥の飛来が多いのと気候的にもよいので島内散歩も大変楽しいものです。子供さん達を連れて一緒
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんでです<br /><br />　最近よくキノコがはえているのを発見します。<br />高月山頂上付近に沢山生えています。<br /><br />　去った台風によって雨が降ったのと気温が涼しくなった影響によって生えて居るのでしょう。<br />今日、散歩していたらカネクアパートの後ろのバナナ園で黄色いキノコが見つかりました。私は始めて見ました。<br /><br />最近、座間味村においては野鳥の飛来が多いのと気候的にもよいので島内散歩も大変楽しいものです。子供さん達を連れて一緒に学習するのも良いと思います。<br /><br />ハラタケ科の種類でコガネキヌカラカサタケです。黄色いのは用注意です。<br /><br />親子のコミニュケーション図るのに良いのではないでしょうか。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC06471.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC06471.jpg" alt="DSC06471.jpg" border="0" width="389" height="292" /></a><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-10-30T17:17:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村立阿嘉幼少中学校では秋季運動会がありました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　「汗と努力の結晶で海よりでっかい歓声を」をテーマで座間味村立阿嘉幼少中学校（賀数昌治校長）では、１０日午前９時２０分より、地域住民やＰＴＡ会員が１５０人程参加する中、秋季運動会が開催されました。　　　　　　　　　　同校は幼稚園児３人、小学校１７人、中学校１０人合計３０人の小規模校。運動会には応援参加した慶留間幼少中学１８人も全員が運動会を盛り上げました。　一人で数多くの種目に
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　「汗と努力の結晶で海よりでっかい歓声を」をテーマで座間味村立阿嘉幼少中学校（賀数昌治校長）では、１０日午前９時２０分より、地域住民やＰＴＡ会員が１５０人程参加する中、秋季運動会が開催されました。　　　　　　　　　<br /><br />　同校は幼稚園児３人、小学校１７人、中学校１０人合計３０人の小規模校。運動会には応援参加した慶留間幼少中学１８人も全員が運動会を盛り上げました。<br /><br />　一人で数多くの種目に出場する生徒もいて元気はつらつ、グラウンドいっぱいに競技や演技を繰り広げました。<br /><br />　特に幼稚園児、小中学校校の児童生徒全員のエイサーや一輪車競技は圧巻でした。一輪車競技は２５年前から行われて伝統種目となっており、小中学生全員が見事な一輪車競技披露しました。　<br /><br />　運動会は地域の人達も参加して行われてテーマのとおり沢山の歓声があがり一人の脱落者もなく全員がきちんと演目を成し遂げた。<br /><br />　運動会終了後場所を変えて懇親会も行われて小さな島で大きな賑わいを見せました。<br /><br />写真はエイサーを終えて満足感で集合撮影となりました。　<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/2009101611064001f.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/2009101611064001f.jpg" alt="阿嘉校運動会" border="0" width="292" height="220" /></a><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-10-16T11:06:50+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村立座間味幼小中学校で運動会がありました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　座間味村立座間味幼小中学校（濱本朝純校長）では２００９年秋季運動会が１０日、秋空模様の薄曇りの状況下、在校生のほか、ＰＴＡ会員や地域住民ら約三百人が参加して「かけぬけろ・座間味っ子～友情・ほほえみ・チームワーク～」をテーマに同校で開催されました。　　　　　　　　同校は幼稚園児１６人、小学校４３人、中学校２７人、計８６人の小規模校。この日は涼しくて絶好の運動会日和となり、競技や
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　座間味村立座間味幼小中学校（濱本朝純校長）では２００９年秋季運動会が１０日、秋空模様の薄曇りの状況下、在校生のほか、ＰＴＡ会員や地域住民ら約三百人が参加して「かけぬけろ・座間味っ子～友情・ほほえみ・チームワーク～」をテーマに同校で開催されました。　　　　　　<br />　　同校は幼稚園児１６人、小学校４３人、中学校２７人、計８６人の小規模校。この日は涼しくて絶好の運動会日和となり、競技や演技にがグラウンドいっぱいに展開されました。<br /><br /><br />　地域住民も参加しての座間味校の運動会は親睦、交流の場となり、参加者全員が歓声をあげながら観戦していました。<br /><br />　特に全児童・生徒で行ったエイサーと中学校生全員で演じた旗演技は圧巻で、会場より大きな拍手が送られました。<br /><br />　運動会は誰１人の脱落者もなく全員が楽しく１日を過ごした。その後、地域住民とＰＴＡ会員が場所を変えて親睦交流会も行われ、その日の座間味島は終日賑わいを見せました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC00445.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC00445.jpg" alt="DSC00445.jpg" border="0" width="308" height="231" /></a><br />　　　　　　　　 ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-10-13T12:59:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村の戦争の話２１回目です。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　豊な時代が長く続いた座間味村　　座間味村は沖縄本島の那覇市泊港より西方海上約４０㌔の位置に点在する座間味村で、沖縄本島よりには渡嘉敷村があります。両村をあわせて慶良間諸島といいます。　座間味村は面積１６．７４Ｋ㎡で全島の地形は平坦地が少なくて山岳地帯が８割を示している。各島々は自然の景観は変化に富んでいて景勝地としての評価が高く各島の北側の海岸は切り立った断崖からなり、南側に
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br />　　豊な時代が長く続いた座間味村<br />　　座間味村は沖縄本島の那覇市泊港より西方海上約４０㌔の位置に点在する座間味村で、沖縄本島よりには渡嘉敷村があります。両村をあわせて慶良間諸島といいます。<br /><br />　座間味村は面積１６．７４Ｋ㎡で全島の地形は平坦地が少なくて山岳地帯が８割を示している。各島々は自然の景観は変化に富んでいて景勝地としての評価が高く各島の北側の海岸は切り立った断崖からなり、南側に傾斜し平坦地化していて、サンゴ礁にふちどられ、世界に例を見ない海洋生物が生息していて世界屈指の透明度を誇る海へとつながり、絶妙なコントラストを見せる。<br /><br />　座間味村は観光産業が主流で年間訪れる観光客は約９万人に達する。海洋レジャーが主でダイビングメッカの地とも云われている。又、冬の時期にはザトウクジラも回遊してくることから冬型の観光としても脚光を浴びている。<br /><br />　座間味村は、琉球王朝時代には「進貢船」の風待ち待機の島でした。<br /><br />　当時は中国の福建州の福州に沖縄館があり、そことの貿易で、冬型の大陸性季節風が吹くと順風にのって2隻で南西に向かって出港し夏の南の風が吹く頃、帰ってくる貿易のようでした。沖縄から運んだ貿易の品々は馬とイオウが主流であったと伝えられています。<br /><br />　それは中国（明）が兵力をつけるために沖縄を君臨せしめて貿易が始まりました。大交易時代は14世紀から17世紀まで続き、その当時貿易に制限がありませんでしたが、17世紀以降は中国も安定し貿易情勢が変わり、年に1回とか2回の貿易に制限させられました。<br /><br />　貿易は明治に入るまで行われてきました。その時代の産業は島全体が貿易に携わる産業で島は豊かな時代が続いてきました。<br /><br />　明治政府は、日本の統一を図るために明治4年（1871年）藩を廃して府・県を置き、中央集権国家を形成しました。沖縄は明治12年「廃藩置県」令達が首里城において藩主に手渡され、明治政府は無理矢理、首里城が明け渡されて沖縄県の夜明けとなったのでした。当時は廃藩置県に対して反対者などがいて、離島あたりまで、ごたごたが続きました。<br /><br />　そのことから明国の貿易の進貢船は渡航を明治７年に禁止され船頭や水夫が職を解かれ、生活苦は当然住民の頭上にふりかかってきた。それから間切制度に入っていくのですが産業という産業がなく自給自足への突入となっていたのです。<br /><br />　それでも何とか産業興しをと住民は試行錯誤考えた末、山林には良質な山林があり、それを活用した燃料用の「ケラマ炊物」を進貢船を利用して、那覇に販売して、何とか生活苦をしのんでいました。<br /><br />カツオ業の変貌<br /><br />　明治34年、初代村長、松田和三郎は座間味村に産業をおこさねばと、カツオ業に本格的に取り組み、成功に導いていきました。安里積勳の協力を得ながらのカツオ加工技術は素晴らしいものがあり、沖縄県主催の共進会等では常に一位に入賞しケラマカツオ節のブラインド品として名声を高めました。<br /><br />　県産品カツオ節の中でも最高級品と言われるようになったのです。<br /><br />　大正10年頃のある記録によると座間味島ではカヤ葺屋根の家は一軒だけで、他はことごとく赤瓦の漆器屋根で、美しい村、裕福な村だったと紹介されています。<br /><br />　昭和初期に入ると全国的、世界的な不況に入り、沖縄県においても様々な社会問題が発生した。国の政策もあって日本の植民地であった。南洋進出が増え、県内外の水産業会も南洋への進出も増加しました。座間味村の多くの村民も南洋進出が始まり、カツオ組合の殆どが南洋での操業となったのでした。<br /><br />　昭和16年12月8日、日本帝国（大本営）はアメリカに対し、宣戦布告を発表し戦争の突入となり、真珠湾を攻撃して、それからアメリカ軍はマリアナ諸島（南洋諸島）を戦闘を開始したのでした。<br /><br />　昭和18年7月に日本軍は陥落した。すべてを失った島人の婦女・子供は島に戻るのを与儀なくされ、男性は現地で徴兵され各戦闘地に配属されたのでした。<br /><br />　昭和19年９月10日に座間味村も戦争の体制準備の開始となり、日本全国より徴兵された1,000名の軍人と軍属が配備され戦争への突入となっていきました。<br /><br />　座間味村は太平洋戦争沖縄戦の米軍第一歩の上陸の地で集団自決をだした大変な悲劇の島となり、戦後はかなりの苦しい時となりました。<br /><br />　それでも住民はカツオ漁業の復興ということで、継続操業を開始した。ところが終戦から間もなく極東の戦略拠点として沖縄駐留米軍基地の建設工事が始まったことに端を発したことから、朝鮮戦争の勃発もあって「スラップブーム」史上奇妙な、経済現象がおき、やがて座間味村のカツオ業も次第に衰退の一途をたどることになったのです。<br /><br />　阿嘉島では昭和45年、宝泉丸を購入しパラオ付近まで操業するが、昭和46年パラオ島で領海侵犯で、拿捕されて8,000ドルの罰金と不漁続きも重なり、昭和48年解散となったのでした。<br /><br />　座間味島でも若者の島外への流失により後継者がなく座間味カツオ漁業組合の解散、その後、施設を利用して静岡県、鹿児島県から購入した鮮魚を「ケラマ節」と銘打って出荷したが、採算がとれず加工業も停止、ついにカツオ漁業は昭和51年、座間味村から完全に姿を消しました。<br /><br />昭和３０年頃の座間味区です。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20091004151112f3d.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20091004151112f3d.jpg" alt="昭和３０頃" border="0" width="384" height="288" /></a><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-10-04T15:04:29+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村で海洋深層水よりとりだした水の贈呈がありました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　慢性的な水事情に困っている座間味村（宮里哲座間味村長）に対して那覇市赤嶺にある株式会社企画Ｔ社(沖縄海邦企画株式会社)より海洋深層水より作りだしたペットボトル３５０㎜リットル１箱２４本入りの二百ケースが座間味村に贈呈された。　これは１０月１日の１便の定期船クィーンざまみで同会社の国場幸辰代表取締役が座間味村入りし座間味村役場を訪れて関係者が参加する中贈呈されました。　国場幸辰代
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　慢性的な水事情に困っている座間味村（宮里哲座間味村長）に対して那覇市赤嶺にある株式会社企画Ｔ社(沖縄海邦企画株式会社)より海洋深層水より作りだしたペットボトル３５０㎜リットル１箱２４本入りの二百ケースが座間味村に贈呈された。<br /><br />　これは１０月１日の１便の定期船クィーンざまみで同会社の国場幸辰代表取締役が座間味村入りし座間味村役場を訪れて関係者が参加する中贈呈されました。<br /><br />　国場幸辰代表は座間味村が大変な水事情で困っていると聞き私達が久米島で作っている深層水使って貰うと計画していました。<br /><br />　村民の水に困っている人達に役立て下さい。この水は子供から老人にいたるまで体に優しい水ですと延べた。<br /><br />　席上、宮里座間味村長は、今、阿嘉地区と慶留間地区が大変な水事情が悪化しています。学校給食も大変な状況下に有ります。かなり困っているところに考慮して村民に配布したいと考えています。今回の水の贈呈は感激であり、感謝していますと延べた。　<br /><br />　　写真は左より国場幸辰代表取締役・宮里哲座間味村長・宮平秀保村議会議長　　　　　　　　　　　　宮里祐司村議会議員　　　<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC00408.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC00408.jpg" alt="DSC00408.jpg" border="0" width="308" height="231" /></a><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-10-03T06:46:18+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>９月２７日に掲載しましたハイサイの内容を変更しました。</title>
<description> 座間味うりずんです。運動会を成功させよう  テーマは「チームワーク」　座間味村よりハイサイ　　          ハイタイ　座間味一〇四番地　　宮里直輝君（十五才）　座間味一一四番地    宮平夏帆さん（十四才）　座間味村立座間味中学校の生徒会長の宮里直輝君、と副会長の宮平夏帆さんリーダーシップが出てきたのとチャレンジ精神が旺盛になってきたとは学校の先生方は語る。　「僕達にとって今度の運動会は中学校、最後の運動会
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />運動会を成功させよう<br />  テーマは「チームワーク」<br /><br />　座間味村よりハイサイ<br />　　          ハイタイ<br />　座間味一〇四番地<br />　　宮里直輝君（十五才）<br /><br />　座間味一一四番地<br />    宮平夏帆さん（十四才）<br /><br />　座間味村立座間味中学校の生徒会長の宮里直輝君、と副会長の宮平夏帆さんリーダーシップが出てきたのとチャレンジ精神が旺盛になってきたとは学校の先生方は語る。<br /><br />　「僕達にとって今度の運動会は中学校、最後の運動会、種目の旗演技は自作自演の演技なのでみんなで力を合わせ心を一つにして成功させ、最高の思い出とします」と宮里直輝君。<br /><br />　「私は会長と共に運動会を成功させますがこれからはスポーツの秋なので全ての競技にチャレンジし良い成果を残し、近々開催される島尻地区陸上競技会においても良い成績をのこします。」と宮平夏帆さん。<br /><br />  二人は運動会の練習風景で活発に動きよくリードし、かけ声も青空に響きわたり運動会のテーマの「チームワーク」について、この機会にしっかりと考え、みんなで運動会を成功させようと意気込んだ。　　 ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-10-03T06:35:10+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味島で敬老会がありました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　２５日午後２時より。座間味村離島総合センターホール内において座間味島の７０才以上の老齢者を招き敬老会が開催されました。　座間味島は３ヶ字区から成り立っていて３ヶ字区の主催で村民に参加を呼びかけて開催となりました。　座間味村は人口が９５８名で７０才以上の人口は１８９名で人口の２０％になっている。座間味島の敬老者は１０６人で参加者が約八十人参加しました。　会場には村民も百人程参加
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　２５日午後２時より。座間味村離島総合センターホール内において座間味島の７０才以上の老齢者を招き敬老会が開催されました。<br /><br />　座間味島は３ヶ字区から成り立っていて３ヶ字区の主催で村民に参加を呼びかけて開催となりました。<br /><br />　座間味村は人口が９５８名で７０才以上の人口は１８９名で人口の２０％になっている。座間味島の敬老者は１０６人で参加者が約八十人参加しました。<br /><br />　会場には村民も百人程参加した。敬老会の余興として座間味校の幼稚園児のお遊戯や小学校生のエイサー・婦人会の沖縄の踊りやフラダンスなども盛り沢山披露されました。<br /><br />　叉、中学校女生徒達全員でのお年寄りの接待は大変喜ばれた。平田文雄座間味島老人クラブ会長は席上挨拶で私達は戦前・戦時中・戦後と多難の時代を乗り越えて島の復興の為に一生懸命に頑張ってきました。<br /><br />　これからは敬老の皆様も益々若さを保ち島の為に頑張りましょう。叉、村民の皆様も島人の心を大事にし交流を深め平和を愛しながら島の為に頑張って下さいと延べた。　　　　<br /><br />写真は座間味幼稚園児が敬老者の皆さんに踊りを披露して感謝の言葉を述べている状況です。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200909281549073c3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200909281549073c3.jpg" alt="１敬老会" border="0" width="308" height="231" /></a><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-09-28T15:49:20+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村よりハイサイ・ハイタイです。</title>
<description> 座間味うりずんです。座間味幼小中学校の運動会を成功させよう  テーマは「チームワーク」　座間味村よりハイサイ　座間味一〇四番地　　宮里直輝君（１５才）　　座間味村よりハイタイ　座間味一一四番地    宮平夏帆さん（１４才）　座間味村立座間味中学校の生徒会長（快調！）の宮里直輝君、先生方がほめる言葉が最近良く出て来ますとは同校の教頭先生「とてもリーダー性が出てきた。」　座間味幼小中学校運動会での目玉演技で
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<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090928163110eb1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090928163110eb1.jpg" alt="ハイサイ" border="0" width="308" height="231" /></a><br />座間味<br />うりずんです。<br /><br />座間味幼小中学校の運動会を成功させよう<br /><br />  テーマは「チームワーク」<br /><br />　座間味村よりハイサイ<br />　座間味一〇四番地<br />　　宮里直輝君（１５才）<br />　<br />　座間味村よりハイタイ<br />　座間味一一四番地<br />    宮平夏帆さん（１４才）<br /><br />　座間味村立座間味中学校の生徒会長（快調！）の宮里直輝君、先生方がほめる言葉が最近良く出て来ますとは同校の教頭先生「とてもリーダー性が出てきた。」<br /><br />　座間味幼小中学校運動会での目玉演技である旗演技は自作演技であることから良くまとめています。<br /><br />　叉、生徒副会長の宮平夏帆さんも、最近、成長しているとの校内で、もっぱらの評判だ「副会長らしくなった」部活や地区陸上の選手として、何でもチャレンジ精神が旺盛と先生方は語る。<br /><br />　その事から運動会練習時には二人がよくリードして、男子、女子のかけ声も大きくなり、運動会のテーマの「チームワーク」について、この機会にしっかりと考え、みんなで運動会を成功させようと意気込んだ。　　　　　　　　　　　　　 ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-09-27T10:22:12+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味校の創立記念日がありました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　２４日、座間味小学校（濱本朝純校長）では２３日に同校が１２４周年になったことから戦前在学していた島の先輩を招聘して当時の教育や体験談について同校の体育館内の朝礼会において創立記念日としての講話会が行われた。　講師として招聘されたのは阿佐地区在住の平田文雄さん（７９才）戦争勃発前の国民高等科時代の講話は座間味村が去った太平洋戦争において激戦地だった戦争の話も折り込んだ事と、当時
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　２４日、座間味小学校（濱本朝純校長）では２３日に同校が１２４周年になったことから戦前在学していた島の先輩を招聘して当時の教育や体験談について同校の体育館内の朝礼会において創立記念日としての講話会が行われた。<br /><br />　講師として招聘されたのは阿佐地区在住の平田文雄さん（７９才）戦争勃発前の国民高等科時代の講話は座間味村が去った太平洋戦争において激戦地だった戦争の話も折り込んだ事と、当時の生活状況など、特に約二㌔近くの山岳地帯の道路を集団で通学した思い出は今でも忘れませんと語たり、児童生徒達は真剣に聞いていた。<br /><br />　同校は幼稚園児十六名・小学校四十三名・中学校二十七名の合計八十六名のミニ校で今回の講話の狙いは「ふるさとを愛する心を育て、たくましく生きる力を育む」として同校の基本的方針を定め開催された。<br /><br />　　　写真ば座間味村立座間味幼小中学校の校舎全景です。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090927060911cc5.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090927060911cc5.jpg" alt="座間味校" border="0" width="308" height="231" /></a><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-09-27T06:09:23+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>慶留間幼小中学校の運動会。</title>
<description> 座間味うりずんです。　慶留間幼小中学校の大運動会がありました。　「輝く汗太陽（ティダ）の下・心一つに前進あるのみ」をテーマに、座間味村立慶留間幼小中学校（宮城明美校長）の二〇〇九年度秋季運動会が十二日、在校生他沖縄本島の郷友会約八十人や島内の幼小中学生・地域の方達が約百八十人参加して同校の運動場で午前十一時二十分より開催されました。　同校は幼稚園児３人・小学校１２人・中学校３人の合計１８人の超ミニ
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　慶留間幼小中学校の大運動会がありました。<br /><br />　「輝く汗太陽（ティダ）の下・心一つに前進あるのみ」をテーマに、座間味村立慶留間幼小中学校（宮城明美校長）の二〇〇九年度秋季運動会が十二日、在校生他沖縄本島の郷友会約八十人や島内の幼小中学生・地域の方達が約百八十人参加して同校の運動場で午前十一時二十分より開催されました。<br /><br />　同校は幼稚園児３人・小学校１２人・中学校３人の合計１８人の超ミニ校で、沖縄本島の郷友会や座間味村内の地域の方達などに参加を呼びかけてミニ校の大運動会となりました。<br /><br />　慶留間島は人口が約７０人で全員が参加となり、その日は人口が二倍以上になり、島はいつにもない賑やかさとなり、日頃顔を合わすことがないだけに親睦・交流の場となり、会場に来た参加者全員も競技や演技に参加して歓声が上がりました。<br /><br />　特に同校の幼稚園児・児童生徒・職員の全員で行ったエイサーは圧巻で会場より大きな拍手が送られました。<br /><br />　叉、運動会が終了後場所を変えて慶留間区公民館において懇親会も行なわれて。郷友会と島の人達と教職員が親睦交流も深まり慶留間島は賑わいを見せました。　<br /><br />　　　エイサーの演技に入る前の集合写真です。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/P1060538.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/P1060538.jpg" alt="P1060538.jpg" border="0" width="308" height="204" /></a><br /><br />　座間味小学校・阿嘉小中学校の児童生徒達も友情参加しました。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/P1060303.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/P1060303.jpg" alt="P1060303.jpg" border="0" width="308" height="204" /></a><br /><br /><br /><br />　　　　 ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-09-18T10:41:40+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村よりハイタイ。（座間味村よりこんにちは）</title>
<description> 座間味うりずんです。座間味村よりハイタイ　　　慶留間小学校六年生　上原由莉子さん（十二才）　「バリ島に行ってきました。」と笑顔満弁に答えてくれた由莉子さん。慶留間小学校を訪ねたら「沖縄環境調査隊」隊員に選ばれた県内の小中学生二四人のうち四人がインドネシアのバリ島にサンゴを主に他環境施設などを見て廻ったとの話を聞き早速インタビューとなった。　由莉子さんはバリ島の滞在期間は一週間でサンゴの移植状況を調
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />座間味村よりハイタイ<br />　　　慶留間小学校六年生<br /><br />　上原由莉子さん（十二才）<br /><br />　「バリ島に行ってきました。」と笑顔満弁に答えてくれた由莉子さん。慶留間小学校を訪ねたら「沖縄環境調査隊」隊員に選ばれた県内の小中学生二四人のうち四人がインドネシアのバリ島にサンゴを主に他環境施設などを見て廻ったとの話を聞き早速インタビューとなった。<br /><br />　由莉子さんはバリ島の滞在期間は一週間でサンゴの移植状況を調査してきた。沖縄と違うのは広い範囲でサンゴが生えているのには感心したとのことだ陸上の環境が良くないと海もだめになることがわかってきた。<br /><br />　海を守る為には大人の人達が考えて行けないと思いますが。まず私達が出来ることはゴミ拾いから始まり、地域の環境がいかによくなるか考え話あって行くのが大切なのではと思いますと語った。　<br /><br />　上原由莉子さん達４人は８月２日那覇空港を出発し８日の一週間の環境調査隊としてバリ島に滞在した。島尻地区の南風原小学校５年生の時に選考が決定した。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC00267.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC00267.jpg" alt="DSC00267.jpg" border="0" width="308" height="231" /></a><br />　<br />　子どもたちを海外に派遣して環境問題を現地調査する学習ツアー「沖縄こども環境調査隊」（主催・沖縄タイムス社、共催・海洋博覧会記念公園管理財団）の選考面接が平成２１年２月１５日、沖縄タイムス社であり、小・中学生２４人が「隊員」に選ばれて。離島を含む県内各地から３７２人の応募があり、作文審査で絞り込んだ。<br />　子どもたちは、春休みと夏休み期間中に一人一カ国、７日前後の日程で訪問した、行き先はインドネシア、マレーシア、オーストラリアなど６カ国。９月下旬に開かれる沖縄こども環境サミット（仮称）で、学習成果を発表することになっている。<br /><br /><br />　<br />　<br />　参加決定者は次の通り。<br /><br />【中学生】１２人<br />宮里　政吏（みやざと　せいじ）　国頭中学校　２年<br />新垣　かれん（あらかき　かれん）　屋我地中学校　２年<br />大城　さゆり（おおしろ　さゆり）　大宮中学校　２年<br />知念　栞菜（ちねん　かんな）　伊江中学校　２年<br />伊差川　舜（いさがわ　しゅん）　喜瀬武原中学校　１年<br />山根　麻美（やまね　まみ）　高江洲中学校　１年<br />喜納　ももこ（きな　ももこ）　北中城中学校　１年<br />小禄　健人（おろく　けんと）　沖縄尚学高等学校附属中学校　１年<br />久手堅　翔太（くでけん　しょうた）　興南中学校　１年<br />外間　美幸（ほかま　みゆき）　東風平中学校　１年<br />島袋　健悟（しまぶくろ　けんご）　高嶺中学校　２年<br />前三盛　敦貴（まえみつもり　あつき）　石垣第二中学校　１年 <br /><br />【小学生】１２人<br />山城　真紀（やましろ　まき）　喜如嘉小学校　６年<br />亀島　淑志（かめしま　よしじ）　古堅南小学校　６年<br />香村　栄実（かむら　えいみ）　沖縄ｸﾘｽﾁｬﾝｽｸｰﾙｲﾝﾀｰﾅｼｮﾅﾙ　５年<br />外間　新野（ほかま　しんや）　坂田小学校　５年<br />具志　〓也（ぐし　ゆうや）　高江洲小学校　６年<br />泉　香菜子（いずみ　かなこ）　室川小学校　５年<br />新崎　聖華（あらさき　きよか）　若狭小学校　６年<br />上原　由莉子（うえはら　ゆりこ）　南風原小学校　５年　（現在　慶留間小学校６年生）<br />下地　宮代（しもじ　みやこ）　北小学校　６年<br />松山　大海（まつやま　ひろみ）　北小学校　６年<br />堀井　紗ら（ほりい　さら）　明石小学校　６年<br />砂川　美穂（すながわ　みほ）　大浜小学校　６年<br /><br />　　上記の学年は１学年づつ上がります。<br /><br />　<br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-09-18T08:45:53+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>東ティモールより２４名が来村しました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　東ティモール国より戦後復興に携わる中央・地方自治体公務員及びＮＰＯ法人職員等の青年２４名が８日定期船の高速船クイーンざまみで午前１０時に座間味村入りした。　これはＪＩＣＡ（独立行政法人国際協力機構）より、平成２１年度生年研修事業・東ティモール平和構築のために、特定非営利活動法人沖縄平和協力センター（ＯＰＡＣ）が企画し９月１日より１８日までの１８日間沖縄の戦争当時の内容や戦跡巡
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　東ティモール国より戦後復興に携わる中央・地方自治体公務員及びＮＰＯ法人職員等の青年２４名が８日定期船の高速船クイーンざまみで午前１０時に座間味村入りした。<br /><br />　これはＪＩＣＡ（独立行政法人国際協力機構）より、平成２１年度生年研修事業・東ティモール平和構築のために、特定非営利活動法人沖縄平和協力センター（ＯＰＡＣ）が企画し９月１日より１８日までの１８日間沖縄の戦争当時の内容や戦跡巡り沖縄の取り持つ諸問題点・文化などについての研修となった。<br /><br />　座間味島においては早速、座間味小中学校を訪問して児童生徒達より体育館内において歓迎のセレモニーが行われて沖縄の離島教育などについて研修となった。<br /><br />　その日の夜の部として座間味島青年団と交流会も行われて宮平譲治青年団長より座間味島の地勢や文化等について紹介され交流を深めた。<br /><br />　叉、翌日は座間味村の戦争当時の話や体験者より体験談の話も戦跡において説明がなされて一行は真剣な眼差しで聞いていた。<br /><br />　その後、座間味中学校視聴覚教室において戦争の説明者と体験者との質疑応答などもあり、座間味村の戦争の事を極め細かに聞いていた。一行はその日の午後の五時の定期船で沖縄本島に移動した<br /><br />十八日までおきなわに滞在して沖縄の基地についての調査研究も行われるとのことだ。<br /><br />写真は座間味小中学校体育館内において歓迎を受ける東ティモールの一行の皆さんです。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/2009091516145180a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/2009091516145180a.jpg" alt="ティモール" border="0" width="369" height="278" /></a><br /><br />　　　 ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-09-15T16:15:05+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村の戦争の話２０回目です。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　　　　戦争の話です（２０回目）　　　　　　（阿嘉島での戦況）　阿嘉島には古賀少佐の率いる９００名の基地設営隊と野田少佐の率いる陸軍海上艇身第２戦隊１０４名が駐屯していたが戦況の悪化に伴い３月８日付、沖縄連隊区司令官の命に依って１８才以上６０才迄の男子と屋嘉比、久場島、両鉱山の鉱夫と阿嘉国民学校高等科生及び青年義勇軍４０名計１２０名は阿嘉島防衛隊として野田部隊に編入せられ約３
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　　　　　戦争の話です（２０回目）<br />　　　　　　（阿嘉島での戦況）<br />　阿嘉島には古賀少佐の率いる９００名の基地設営隊と野田少佐の率いる陸軍海上艇身第２戦隊１０４名が駐屯していたが戦況の悪化に伴い３月８日付、沖縄連隊区司令官の命に依って１８才以上６０才迄の男子と屋嘉比、久場島、両鉱山の鉱夫と阿嘉国民学校高等科生及び青年義勇軍４０名計１２０名は阿嘉島防衛隊として野田部隊に編入せられ約３週間の猛訓練を実施されたのでした。<br /><br />　３月２３日午前８時、食糧確保作業中、阿嘉島最高の嶽原山に敵グラマン機、来襲猛烈な爆撃が展開された。最高幹部連体は上陸の前兆ありと発表し軍は各方面要所に監視兵を配置し敵の上陸の監視体制を強化した。<br /><br />　午前１１時４０分、部落西方（比津志方面）の監視所より敵艦発見の報告あり、続いて同所より、アメリカ機動部隊と知り、野田隊長は全員山頂に後退すべしと命令を下し、午后１時頃、敵は爆撃と猛烈な攻撃を加えて来たのでした。<br /><br />　攻防戦は癒々猛烈となり敵は集落前方海岸に上陸激戦は極度に達した、友軍は其の対策を講じて無線機を山頂各所に設置して沖縄本島との連絡を密にしたが、敵の電波探知機によって無線機の位置が発見され敵の艦砲爆撃が無線機の位置に集中したのでした。<br /><br />　軍は遂に阿嘉島全島民及び日本軍全員玉砕を決意して総出陣の打電を最後に、無線機を破壊し連絡不可能となる。一方特幹隊では２４日小学生を含む斬込隊が編成され出動準備完了し隊長訓示の後、最後の訓辞が為されたのでした。<br /><br />　２６日午前編成された各斬込隊は防衛隊の道案内にて、又、特幹隊は目的の海岸に。整備中隊は阿嘉部落に点在する各所の敵に斬込を敢行した、斬込隊は敵陣中に進撃し不意をうたれた敵は約４時間に亘り、激戦が展開され、両軍に多くの犠牲者がでたのでした。<br /><br />　又、整備中隊は部落方面の斬込に成功し敵に多大の物的、人的精神的損害を加え更に海岸線の作戦をたて斬り込みを敢行したが、惜しくも敵の敷設せる地雷に依って、殆どの兵士が戦死したのでした。<br /><br />　明けて２６日午前８時過ぎ空襲と艦砲がこの日も猛烈に阿嘉島攻撃され、水陸両用艇が前の浜に上陸が開始された。その時、集落の近くの壕に避難していた５人が射殺され、２人が捕虜となった。住民はスギヤマ（山の中腹にある谷間）避難移動した。<br /><br />　２７日、住民は、もはや戦況がこのようになっては、玉砕以外ない判断、全員がスギヤマの広場に集められて、機関銃を前にして時を待った。「天国に行くんだ、皆一緒だから恐ないよ」家族同士ささやきあっていた。ところが、「集団自決」寸前になって、防衛隊員の伝令で「米軍は撤退したから自決する事は中止解散」ということになり、その場は解散することになった。<br /><br />　兵士中約５０名の小部隊を編成して嶽原山に於いて更に抗戦準備中、不意に上陸してきていたアメリカ軍２００名からなる敵と交戦し激戦１時間後、撃退させたが我軍の損害多大にして戦死者多数を出した。<br /><br />　住民は軍への協力方が高度に要求されたので無法な自決を避け死力を尽して軍に協力した、即ち軍と同生共死、其の行動を共にし、男女老幼を問はず「一人一殺」の言葉を厳守して戦闘に参加した<br />米軍上陸の日、神風特攻隊の悲壮な活躍ぶりを見た、即ち台湾より飛行せる神風特攻隊は慶良間海峡、又、は阿嘉島周囲を取巻く敵艦船に対し午前８時頃より晩にかけて毎日の如く花々しい戦果を挙げる、１機を以って最少３隻以上を撃沈した。これは爆弾投下により最後は体当りによって敢行されたのでした。<br /><br />　軍と住民は、この状況を眼前にせまる時神風特攻隊の精神の尊さとこれに続くべき魂が心底から全身に溢れていた。<br /><br />　諸特攻隊来襲に敵は空襲警報を発し慶良間海峡一面に煙幕を張る、これを好機として軍民は高所に上り神風特攻の成功を祈り乍ら、戦果の見事さに我を忘れる事が多く、その為に敵弾に当って多数の負傷者を出した位であつた、阿嘉海岸に漂流せる有賀航空上等兵曹（戦死）の抗戦の見事ぶりは全員涙をのんだ。<br /><br />　これは敵艦三隻を撃沈した後、戦死したのである。<br /><br />　日本軍は４月２９日、天長節を期して神風特攻隊と共に最後の斬込みを作戦する神風特攻隊来襲せず期待できなくなり、軍も作戦を控えた有様であつた。<br /><br />　次後、日本軍は食糧不足の状態となり住民に対し「芋や野菜一つたりとも一切、」軍の許可を受けずして採取する者は銃殺する」の命を発し谷間の水さえ自由に飲めず次第に栄養不良となり、年寄・子供が次々と倒れる数が増えて来た、戦況化の中で防衛隊によって民間避難場所内に於いて犠牲壕を造る作業迄実施された。<br /><br />　兵士も持参品などに米粒などを発見されると十日間の絶食、又、は銃殺という厳命だった。兵士も一日一食中一杯のヤマブキを食って生を継いだ。そして違反者三十名が銃殺された。（朝鮮群部が殆どです。）<br /><br />　食糧事情による軍の厳罰策は極度に達し兵士の苦しみはさておいて、一般住民の苦しみは言語に絶する程であつた。水さえ自由に飲めず軍への協力によって、苦労と栄養失調による衰弱に死んで行く者は、日毎に多くなり、実に悲惨であつたのでした。<br /><br />　だが住民はこれが日本軍に対する奉公であると思い見る目も傷ましい光景の中で骨と皮ばかりになって軍に協力したのでした。<br /><br />　時に米軍は阿嘉島の住民と日本兵達を降伏させようと色々の手段が用いられたが、米軍の宣伝には、迷うことなく軍民一体食糧の解決（増産）に努力し戦う事を軍の指示が出た。<br /><br />　６月１５日海岸方面に於ける水沼軍曹の率いる作業人が敵宣伝軍に包囲され、水沼軍曹は米軍に捕えられたが、間もなく帰島させられて「６月２５日迄に降伏するや否や」の敵の要求を野田隊長宛に連絡した。然し野田隊長は６月２５日午前１１時、全員集合を命じ最後の訓辞を行った。即ち「降伏せず」との訓辞であつた。<br /><br />　８月１６日大本営発表に「日本天皇は無条件降伏せり」とあるから、これからは弾丸一発も打たないから早く山から降りて来いとの宣伝と敵グラマン機による宣伝ビラが撒かれた。<br /><br />　軍はそれを信用せず８月２８日敵、将校３名が水泳着のまま我が本部に上陸終戦の情報を発表したが野田部隊長は之を信用せず、断固として降伏せざる旨米軍に通達したのでした。<br /><br />　更に米軍将校は野田部隊長に渡嘉敷島に生存する日本軍は無線機を所持せる故、明日、同島に渡りその真実を確かめようとの話し合いになり翌日ミノキ中尉、水沼軍曹と共にアメリカ軍の艦船より渡嘉敷島に渡り生存日本軍より、終戦の事実を確保した。依って、８月２８日遂に涙の降伏となった。<br /><br />　　日本軍による老夫婦の虐殺<br /><br />　阿嘉島のメーアガイ小（屋号）オジー・オバーは年老いていただけにアメリカ軍に先に捕虜となり、米軍により、保護されていた。オバーは足が悪いため、逃げようにも逃げられず米軍に連行されて自分の家に収容保護されていた。４月初旬頃の夜オジーとオバーは耳が遠いため大きな声で会話して居たところを日本軍に知られ。アメリカ軍から沢山の食料をもらったことから、日本軍にスパイ扱いされて翌日までロープで手を縛られて。穴を掘らされてその穴に大きな石で潰されて殺されたのでした。<br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
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<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村の戦争の話１９回目です。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　　　　戦争の話です（１９回目）　　　　（慶留間島での玉砕命令）　　　　　慶留間島の戦況状況　　慶留間島は当時１５０人の人口で、日本軍が慶留間島に来る迄は鰹漁業が盛んな豊な島でした。住民達は島が小さいだけにお互いを支え合い協同生活同様な暮らしぶりでした。　座間味村の南の島、慶留間島は小さな島で山が１５０㍍の急峻で山岳地帯が９割もあり、農業は自給自足程度の生産でした。　そのよう
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　　　　　戦争の話です（１９回目）<br />　　　　（慶留間島での玉砕命令）<br />　　　　　慶留間島の戦況状況<br />　<br />　慶留間島は当時１５０人の人口で、日本軍が慶留間島に来る迄は鰹漁業が盛んな豊な島でした。住民達は島が小さいだけにお互いを支え合い協同生活同様な暮らしぶりでした。<br /><br />　座間味村の南の島、慶留間島は小さな島で山が１５０㍍の急峻で山岳地帯が９割もあり、農業は自給自足程度の生産でした。<br /><br />　そのような現況化で戦争の時の避難場所がふさわしいところがあまりなく、住民達は、万一の時はアカムテイ（阿嘉の港に向いている平地）第一中隊の方へ逃げて、兵隊達に助けてもらえれば良いと思っていました。<br /><br />　あまりにも山が急峻のため、集落よりの山の麓に壕を掘っていました。<br /><br />　そのような状況のときに昭和２０年２月８日の大詔奉戴日に阿嘉駐屯の陸軍第２海上挺身戦隊長・野田好彦少佐が来島し「住民全員、慶留間分教場に集まれ」と命じ、老幼婦女一同に対し隊長より「敵アメリカ軍は必ず慶留間島・阿嘉島に上陸するだろう敵上陸の際は玉砕あるのみ」と異例の訓辞がでたのでした。<br /><br />　昭和２０年３月２５日の夜、全艦船より艦砲を集中的にうけた。その時は艦砲による犠牲者は１人もでませんでした。<br /><br />２６日、慶留間島防衛に当る木下隊の率いる一中隊の海上特幹隊は米軍の猛攻撃に依って不意をつかれて特幹艇は一隻も進撃出来ずに敵軍を目前にして上陸をゆるしたのでありました。<br /><br />　そして住民と共に部落後方の山頂に陣取っている最後の交戦を決行したが日本軍は全滅の状態となりました。<br /><br />　慶留間島の住民は一中隊の兵隊たちに死ぬ時は一緒に死のうと言われたので住民はアカムテイー（阿嘉の港に面した所）に行こうとしたが、そこはすでに米軍が上陸していて、行ける状態ではなかったのでした。<br /><br />　住民は野田戦隊長から「玉砕」の訓辞を受けたこともあり、午前１０時頃から正午にかけてお互い同士が縄で或いはクバの葉（ヤシ科の木）で首を絞めるなどして住民は５３名が自決を決行し３人が艦砲による戦死者をだしたのでした。<br /><br />　　　慶留間島に上陸した米兵達<br />　　　場所は集落の高台にある拝所の前で集落の状況を観察している米兵です。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090910055334ce8.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090910055334ce8.jpg" alt="慶留間島の上陸" border="0" width="384" height="288" /></a><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-09-10T05:46:37+09:00</dc:date>
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<title>座間味村の戦争の話１８回目です。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　　　　戦争の話です（1８回目）　　　　　　　　　　（岩山一郎「仮名」さんの玉砕）　　岩山一郎（仮名）さんは去った慶良間戦において座間味島のユヒナの山岳で昭和２０年６月８日に玉砕しました。　その事は終戦の翌年、岩山一郎さんの、お母さん宛てに、戦友の大橋さんより手紙を頂いて、一郎さんの玉砕のことを知ったのが次の手紙の内容でした。その手紙を受け取った後に、一郎さんのお母さんは大橋
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　　　　　戦争の話です（1８回目）<br />　　　　　　　　　　（岩山一郎「仮名」さんの玉砕）<br />　<br />　岩山一郎（仮名）さんは去った慶良間戦において座間味島のユヒナの山岳で昭和２０年６月８日に玉砕しました。<br /><br />　その事は終戦の翌年、岩山一郎さんの、お母さん宛てに、戦友の大橋さんより手紙を頂いて、一郎さんの玉砕のことを知ったのが次の手紙の内容でした。その手紙を受け取った後に、一郎さんのお母さんは大橋さんにお会いして。詳しく戦闘の事を聞いたのでした。<br /><br />　その中で或中尉より船舶工兵隊は異例な玉砕命令を受けていたのでした。「独身者は玉砕しなさい、妻子あるものは生き延びなさい」との命令に従い一郎さんは玉砕したと聞かされたのです。<br /><br />　大橋さんよりの手紙の全文<br /><br />　　　　前　略<br />　一郎さんの御母堂様、昭和２１年４月２２日、梅澤隊の故旧陸軍軍曹　岩山一郎（仮名）氏の戦況状況ご紹介のお手紙拝見しました。<br /><br />　先ず話の順序としまして、私と岩山氏との関係について申し上げます。私は昭和元年１２月３１日（沖縄戦の四ヶ月前）暁一六七四四部隊に赴任、齋藤隊付を命じられて、昭和２０年１月２日に始めて一郎君の中隊に入った者です。<br /><br />　ですから入隊以来の戦友ではなく、誠に夢の様にみじかい交際を行ったものです。しかし数多い中隊員の中でいつもニコニコした。温厚な、しかも仕事は工兵隊出身でその右に出る者はいなかった。岩山君の名前は一番先に記憶しまして戦闘中迄、みじかくではありましたが、親しく仕事をして参りました。<br /><br />　私が参りました頃、齋藤隊は国頭群名護町字幸喜というところにありました渡久地から船で２時間ばかり南の方の静かな入り江に面した港を使用していまして、そこの国民学校が宿舎になって居ました。一郎君はたしか、中隊付き下士官で中隊の仕事の一般をうけもっていたように記憶しています。<br /><br />　仕事は陣地構築のための坑木を北の方から南の島尻郡（那覇にある南の方向）方に、船で輸送していました。輸送船が入港すると、戦闘に使用する魚雷を積んで、敵船にぶつかる訓練を主にしていました。<br /><br />　昭和２０年の１月以降、米軍の飛行機は毎日の様に飛来していました。そのため海での輸送困難を極めたのです。それに沖縄のその時の海は、その頃が最も荒く悪天候の中での訓練で何十名の犠牲者も出しながらの仕事だったのです。<br /><br />　それが、いよいよ２月中旬になりますと米軍機動部隊の行動が活発になり、上陸の可能性が大きくなったという情報によって、国頭群から島尻郡に転進になりました那覇南方２㌔位置にある高安というところに移ったのです。そこでは毎日、壕を掘って陣地を作りました。そのときは豚肉などを頂き強い泡盛などを飲みながらお互い慰めあったものです。<br /><br />　話は変わりますが、那覇の西方海上２０浬ぐらいのところに慶良間列島という小さな群島があります。慶良間には海上特攻隊という小さなボートに爆雷を積んで輸送船に体当たりする隊というのがありまして、船数にして三百隻ありました。<br /><br />　その中の座間味島という島に、僕たちの船舶工兵二十六戦隊の一個小隊が転属を命じられて、しばらくの間、特攻艇の手伝いに行かねばならなくなりました。その命を受けたのが第一小隊でT中尉という方が小隊長（昭和２０年３月２８日戦死）岩山君もまた第一小隊下士官として昭和２０年３月１０日の日に多くの戦友と別れて総勢７０余名が行った訳です。<br /><br />　座間味という島は東西、一理、南北、半離ぐらいの小さな島です。人口は千人ぐらいですが、鰹の漁場で富んだ島でした。<br /><br />　叉、絵に描いたような美しい平和の島で島人は軍隊さんがめずらしく、よくなついて居ました。私たちも沖縄の部隊より離れて、座間味島では命の洗濯でノンビリとした仕事を続けていました。今、考えても敵来襲の恐怖があってもなんだか楽しい数日のようでした。よく夕焼けの海岸に兵隊を集めて岩山君が軍歌を歌っていたことなど、思いうかべることが出来ます。<br /><br />　ところが昭和２０年３月２３日の正午より空襲、平和の島も一瞬にして地獄とかして、何も残らず燃えついてしまいました。兵隊ならまだいいのですが、死を覚悟で出てきたのですから、ただ何の罪も無い女・子供までが戦闘の犠牲になったのです。ある場所では死んだ母達にすがりついて泣き叫ぶ幼子もあり、或いは無心な稚児が親の死をしらずに、そばに寄りそうっている悲惨な情景は何とも云いようがない地獄絵巻を見ているようでした。<br /><br />　２４日も同じく空襲、２５日、午前９時頃、米軍が慶良間の海域に大勢どこともなくやってきて、戦闘の後、２６日、座間味の集落は占領されました。私達は２５日には当然、死ぬものと覚悟していました。１日分の食料を持ち壕を出たのですが、２５日以降は戦いよりも先ず食料に困りました。<br /><br />　１日間、何も食べなかったこともあります。その間、何度となく死を決心しましたが６月迄、生き残ったのが３０人程でした。それからは皆バラバラになり、２人、３人で沢や岩陰に隠れて暮らしていました。<br /><br />　髪はのび放題、服はボロボロ全く惨敗兵です。なぜ斬り込みをしないかとお考えでしょう。私達も米軍を目の前に見るまでは、大いに自信は持って居たつもりです。それがいざ戦闘になってみたら始めて竹槍の同様の兵器で原子力的な米軍の兵器にはどうしょうもないことでした。<br /><br />　進む事は自殺的行為で、斬り込みはなどといっても百万分の一の効果もなかったのです。<br /><br />　こんな戦況でした。とにかく友軍が来る迄、来る日迄と昼はかくれ夜は飛び出して食料の確保の生活を続けたのです。天長節にも陸軍記念日にも待ちに待っていた友軍は来てくれませんでした。<br /><br />　岩山君は昭和２０年６月８日に座間味島のユヒナという場所の山頂で戦死しました「生きて虜囚の辱めをうけず」と誤った強い教えの元に死を決意していたのです。<br /><br />　人間味豊かな、青年を殺してしまったのです。日本人である以前に我々は地球の上に住む人間の一人だったのです。ただ人間の広い目をとじて死ぬ事のことの教え方は大きな過ちがありました。<br /><br />　岩山君は最も純真にして潔癖なるがゆえに米軍に追いつめられて自決したのです。今更乍ら死ぬ事ばっかりを教えて生きることを教えなかった指導者を憎まずにはおれません。<br /><br />　申し上げましたことで、岩山軍曹自決（手榴弾にて）の事実と我々に受けた教育の是非善悪とはハッキリと区別させねばなりません自己の信念の方に殉じた岩山君の純真さと、責任感は最も最高な当時の人々と戦友達の胸に共感したものと信じています。<br /><br />　日本軍人の最後にとるべき手段が、死のみ以外に無かったことのみを教えた、そのことが腹立たしくなって参ります。<br /><br />　以上簡単ではありますが、私が体験した岩山君と苦楽を艫（とも）にした数ヶ月の状況のあらましを申し述べました。しかし、古くからあった事の教えなので私の立場からは何事も申し上げられません。<br /><br />　復員後一年になりますが、特に岩山君のように立派な死に方をなされたことに対して痛恨の思いが万感胸に詰まるものがこみ上げてきます。私は生きて来てしまった事を最大に活用し１人でも戦争の事の悲惨なことを話しするこが旧友に対するせめての償いだと考えておる次第です。<br /><br />　岩山君は立派に戦死しました。岩山一郎（仮名）君万歳です。彼の流した血は永遠に生き続けることでしょう。御母堂様、立派な息子だったことを大いに誇って下さい。<br /><br />　今もこの悲しみを通じて或いは夢のようなことかしれませんが、戦いのない世の中へ平和建設へと努力しょうではありませんか。<br /><br />　蘇鉄の実あけに南風の、しずかな西南の一孤島で静かに眠る岩山君の御霊のことを祈りつつ、御母堂様にはご健勝を願いつつ筆をおかせていただきます。<br /><br />　書きたい事は山程あるのですがご覧の通りの慈筆乱にて判読下さい。玉砕の報告しかご通知出来ないことを残念に思います。<br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　敬　具<br />　　　昭和２１年５月２１日<br /><br />　　　　　　　御母堂　様<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　大　　橋<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-09-02T16:49:49+09:00</dc:date>
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<title>座間味村の戦争の話１７回目です。</title>
<description> 座間味うりずんです。          戦争の話です（17回目）                 （戦争証言集）　　　　　宮里つる子（屋号・松本　　当時の名前・松本つる子）　　　　　　　　　　　　　　昭和９年１月１８日生まれ　当時１１歳　祖父母が屋嘉比島の開墾のため屋嘉比分教場で小学校に通っていたが昭和１９年１０月１０日の午前９時頃座間味島上空に飛行機３機が飛来してきて銃撃音が聞こえてきました。　しばらくして１機の飛行機が屋
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />          戦争の話です（17回目）<br />                 （戦争証言集）<br /><br />　　　　　宮里つる子（屋号・松本　　当時の名前・松本つる子）<br />　　　　　　　　　　　　　　昭和９年１月１８日生まれ　当時１１歳<br /><br />　祖父母が屋嘉比島の開墾のため屋嘉比分教場で小学校に通っていたが昭和１９年１０月１０日の午前９時頃座間味島上空に飛行機３機が飛来してきて銃撃音が聞こえてきました。<br /><br />　しばらくして１機の飛行機が屋嘉比島の上空に現れ、雨のような無差別銃撃を展開したのでありました。<br /><br />　十・十空襲は朝より夕方まで徹底した空襲に見舞われて自然壕に人々は避難していました。<br /><br />　学校も住宅も散々たる壊滅状態にただオロオロしているだけでありました。住める家が無いため私たちは自然壕や銅山の坑内で生活をするようになり分教場も閉校となったのです。<br /><br />　その時に慶良鉱業所の所属の慶良丸が銃撃をうけて漂流しながら久場島沖で沈没したのでした。<br /><br />　昭和２０年３月２３日の早朝より米軍の艦載機によって山は焼かれ集落は猛攻撃となり、不安と恐怖の一夜をあかしました。<br /><br />　米軍機の攻撃は翌日も絶え間なく続き、むしろ激しさを増すばかりでした。そして25日、午前７時頃だと記憶していますが、久場島の遙か南海上に黒煙を発見して島の人達は「日本艦隊だ」と叫び大喜びをしていました。<br /><br />　艦隊の接近に伴い、それが米軍駆逐艦と知ったときには、人々達は各壕や自然壕と坑内壕にと逃げていきました。<br /><br />　しばらくして１隻の艦船から屋嘉比島に集中的に艦砲射撃となったのです。<br /><br />　それを合図に他の１０隻の艦船からも徹底した攻撃となりました。まるで雨が降るような状況でした。<br /><br />　米軍は空から、海からと総攻撃を展開し、身動きはとれず自然壕の奥のほうで家族は身震いしていました。<br /><br />　その日の艦砲は午後５時頃に終了し艦隊は南海上に撤退していったのでした。<br /><br />　私たちの壕は海岸の大きな目立つ壕でした。その時の避難していた自然壕には３家族の約２０名程が入っていました。<br /><br />　２６日の米軍が上陸してきて、私たちが投降呼びかけに応じなかったため手榴弾を投げ込まれて母がなくなったのです。<br /><br />　その時やむなく投降して米軍に収容されて屋嘉比島の南にある桟橋の自然壕に全員が収容されて約１週間くらい後で座間味島の阿真地区に収容されたのでした。<br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
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<title>戦争の話１６回目です。</title>
<description> 座間味うりずんです。戦争の話です（1６回目）（独立国時代が長い間続いた平和の島、琉球王国）　沖縄は、明治の初め頃までは、琉球と呼ばれ、王様がおさめている小さな国でした。琉球王国は、とてもせまく、人口も多くありませんでした。しかし、いまから六百年ほど前から、早くも中国や東南アジアの国々と、商売上の取引をはじめていました。　そのころ、琉球王国では、となりの国々と仲良く助け合って、みんなが平和に暮らすこ
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />戦争の話です（1６回目）<br />（独立国時代が長い間続いた平和の島、琉球王国）<br /><br />　沖縄は、明治の初め頃までは、琉球と呼ばれ、王様がおさめている小さな国でした。<br />琉球王国は、とてもせまく、人口も多くありませんでした。しかし、いまから六百年ほど前から、早くも中国や東南アジアの国々と、商売上の取引をはじめていました。<br /><br />　そのころ、琉球王国では、となりの国々と仲良く助け合って、みんなが平和に暮らすことができるよう、力をつくすことを、国のいちばん大事なきまりにしていました。ですから、国中の人びとは、戦争するための槍や刀をつくったり、もちあるいたりすることは、さしとめられていました。<br /><br />　昔の沖縄のことについて調べた、ある偉い学者は、そのころの沖縄では、人を「殺す」という意味のことばさえ使われていなかったと語っています。それほど、みんなが何事につけても争うのをいやがり、仲良く、平和に暮らすことを心がけていたのです。<br /><br />　そのようなありさまでした。外国から沖縄へやってくる人達は、沖縄には戦争するための武器がないことにおどろくともに、人びとが親切でやさしいのに深く心を打たれたようです。当時の外国人が書いたのを読むと、殆どの人が、沖縄の人びとは、ことのほか平和を好み、心のあたたかい人達だとほめていたのでした。<br /><br />　沖縄の全ての人びとが平和を愛する訳でも無かったでしょうが、人びとが喧嘩をしたり、いがみあったりする生活をさけていたことは、たしかのようでした。<br /><br />　その証拠に最近のオバー達まで私達に人のことを悪く云うことは絶対禁じられていたのでした、私の祖父母も人びとの争いは絶対するなと人びとは良い付き合いをしなさいと、常日頃より云われていたのでした。<br /><br />　叉、学者の中には日本本土の人びとの考え方や生き方と、沖縄の人びとの考え方や生き方は、まるでちがうという人もいます。日本本土では、昔から、人びとが武士のように勇ましく強い生き方をうやまって大切にしているけれども、沖縄では、むしろ、おとなしくて思いやりのある生き方を大切にしてきたのです。<br /><br />　そこから日本本土の文化「さむらいの文化」といわれるのに対し、沖縄の文化は「女性の文化」「やさしさの文化」などといわれました。<br /><br />　沖縄の人達が戦争を嫌いな事を示す一つの例があります。<br /><br />　いまから百年ほど前の明治の頃、日本政府は、沖縄を自分の領土の一部に組み入れる事をはかりました。そのために、沖縄の王様や位の高い役人達に対して、中国との貿易をやめろ、政治のやりかたを変えろ。社会の仕組みやしきたりを改めよ、などといろいろな事に注文をつけ、改革すべき点をこまかに指示しました。<br /><br />　沖縄の王様や役人たち大昔からのしきたりがこわされたり、中国との取引ができなくなるのをひどく悲しみました。しかし、それに反対する力もないので、やむなく日本政府のいくつもの改革命令を受け入れることになりました。<br /><br />　ところが、一つのことだけはどうして聞き入れようとはしませんでした。では、さいごのさいごまで断り続けたのは、いったい何だったのでしょうか。<br /><br />　それは、日本の軍隊を沖縄に派遣する。という申し入れだったのです。日本政府の考えでは、沖縄は、どこかの領土かはっきりしていないので、外国が自分の領土にしようと狙うおそれがある。だから、その野心をふせぐため、日本の軍隊を沖縄に送って、長くとどめておかなければならない、というわけでした。<br /><br />　しかし、沖縄にとっては、そうすることは、いかなる戦争の用意もしないという、古くからの根本的な国のしきたりにそむくことになるので、強くこれに反対したのでした。ですから、沖縄の役人たちはつぎのような理由をあげて、日本政府が、軍隊を沖縄に派遣しようとする申し入れを断ったのです。<br /><br />①	沖縄は、ずっと昔からとなりの近所の国々と仲良く付き合うのに成功してきた。<br /><br />②	沖縄は、貧しい小さな国だから、外国が領土にしよぅと狙う恐れはない。<br /><br />③	軍備がなければ、戦争に巻き込まれる心配はないが、もし、日本の軍隊が沖縄にとどまることになれば、強い国々を刺激してかえって戦争に巻き込まれるおそれがある。<br /><br />④	日本の兵隊がやってくれば、兵営をつくらなければならない。そのためには、農家の人びとの大切な土地を取り上げられる。その結果が貧しい人達を困らせることになる。<br /><br />　では、皆さんは、沖縄側のこうした主張を、どう思いますか。沖縄側が、以上のような理由をあげて、日本軍を派遣しないでほしいと、くり返し、くり返し嘆願したにもかかわらず、日本政府は、むりやりに沖縄に軍隊を派遣しました。その結果、沖縄は悲劇の島になったのでした。<br /><br />　去る、太平洋戦争で、日本全国のうち、沖縄だけが戦場になり、十数万人の住民が尊い命を失ってしまったのです。傷ついたり、死んだりした人びとのなかには、幼い人たちもたくさん含まれていたのです。<br /><br />　つまり、戦時中から戦後に欠けて沖縄の運命が不幸な方向へ狂いだした主な理由の一つは日本の軍隊が、沖縄にとどまり、沖縄を軍事基地にしたことからはじまった、といっても間違いではなさそうです。<br /><br />　今でも沖縄県内の人びとには沖縄は独立国家だと叫んでいる人びともいるわけです。沖縄はトカゲのシッポにさせられた訳です。最近においても北朝鮮の事で日本はもっともっと軍事力を付けるべきだという人達もいます。なんと悲しいことです。そのような事がエスカレートすると、叉、戦争の突入となりかねません。<br /><br />　平和は家庭から始まります。夫婦が仲良くなり子供が授かり家族愛がうまれます。その事から一族が繁栄し親族愛が生まれます。そして地域の人達が交流を結び心やさしい社会の構築となります。<br />琉球国の時代にように全ての兵器・武器を排除しお互いの優しい心で平和にしましょう。<br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
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<title>座間味村の戦争の話１５回目</title>
<description> 座間味うりずんです　　　戦争の話です（1５回目）　　　　（戦争証言集）　　　　このくらいの毒の量では一家は玉砕できないよ　　　　　　　　　上洲幸子さん　屋号　アガタナイガー　当時　２３歳　　太平洋戦争は昭和１６年１２月８日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃によって始まり、当時の日本はアメリカ・イギリス・オーストラリア・インド・中国の国々と闘っていました。　戦局は次第に悪化しアメリカ軍はパラオ諸島、フイリッ
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです<br /><br />　　　戦争の話です（1５回目）<br />　　　　（戦争証言集）<br />　　　　このくらいの毒の量では一家は玉砕できないよ<br />　　　　　　　　　上洲幸子さん　屋号　アガタナイガー　当時　２３歳　<br /><br />　太平洋戦争は昭和１６年１２月８日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃によって始まり、当時の日本はアメリカ・イギリス・オーストラリア・インド・中国の国々と闘っていました。<br /><br />　戦局は次第に悪化しアメリカ軍はパラオ諸島、フイリッピンと日本にじりじりと迫ってきました。そうした戦雲たなびく中で、沖縄も戦争に巻き込まれるのは必至との予測をたて、沖縄全体戦争の準備態勢に入っていきました。座間味村も特攻艇を配備された秘密基地であるが故に住民に座間味村駐屯の日本軍の事が外部に漏れないように徹底した教育がされたわけです。<br /><br />　私は当時２３歳で、戦争が始まる前は那覇にいました。その時、夫は満州へと出兵して一度は復員してきたのですが、復員後は飛行場建設の土砂運搬の監督をしていました。<br /><br />　しばらくして八重山へ徴兵されたのです。那覇では間借りの生活をしていたのですが、夫は徴兵されたし、一人で住んでもしょうがないと思い島への引っ越しの準備をしていたわけ、そうしたら、その時に、那覇は十十空襲が始まり、那覇は壊滅状態となり、自分が住んでいる家も焼かれてしまいました。<br /><br />　それから座間味島に戻って来たのです。その時は那覇にいた学生達や働いている人達、島の人達の大勢が港にきていました。島に帰ってきたのが十十空襲が終わった直後でした。<br /><br /><br />　島に戻ったら、すでに各家庭において防空壕は掘られていて、住民は防空壕と自分の家と行き来し生活をしていました。その時、私は防空壕にはあんまりいきませんでした。<br /><br />　時たま空襲がありましたが、家の周辺で隠れていました。裏山の中腹には私達家族の防空壕がありましたが、私は自宅で食事をつくり妹が年寄り達のいる壕に運んでいたのです。その時の私達の家の家族は後ろの裏座に住み、兵隊さん達は前の座敷に６人が寝泊まりしていました。<br /><br />　兵隊達の食事はハンゴで支給されていましたが、若い兵隊達は、その量では、たりなかったようで、私達は芋をかなり植えていましたので芋を炊くときには兵隊達の分まで焚きだして提供しました。<br />その時の私達の家族は、父が戦争勃発する前に軍属として徴収されて那覇港よりパラオに船団でいきました。<br /><br />　父は航海術がうまいため船団の先頭を水先案内人として誘導しパラオに行ったことを聞きました。父はパラオでは日本軍の食料提供のために鰹を捕り日本軍に協力参加したのです。戦後無事生還したのです。戦後しばらくして高血圧の病気でなくなりました。<br /><br />　長男は島にいて防衛隊として島にいましたが、戦争は生き抜きましたが戦後でなくなったのです。次男は１６歳の時に海軍志願兵として海軍に入営（入隊）して戦後戦いぬいて無事生還したのでした。<br /><br />　弟は那覇の水産高等科に在学中に十十空襲にあい、私と一緒に島に戻ってきたのですが、直ぐ防衛隊として勤務を命じられたのです。勤務内容は特攻艇の整備補助員としての役目と出撃するときに特攻艇を海上に押し出す役目を命じられていたのです。<br /><br />　２５日の米軍の一斉の艦砲射撃に特攻艇の出撃のために古座間味にいったのですが、あまりにも激しい艦砲射撃で、その場にはおれず山道より逃げる途中に艦砲により即死したのです。<br /><br />　妹は那覇で看護婦をしていましたが、勤務していた病院が十十空襲で焼かれたので島に戻り、島の軍の看護婦として衛生兵とともに医療にたずさわり、戦闘中の激戦の中も日本軍魂さを打ち込まれたような働きぶりだったそうです。戦後那覇の病院に勤務していました。<br /><br />　昭和２０年の３月２３日の空襲は私達の壕は高月山と番所山のあいだの谷間にありましたがそこに避難していました。その時に壕にいた人達は、お母さんと長男の嫁と嫁の姉さんとその男子供と私の４人でした。長男は防衛隊なので軍と行動は共にしていましたので壕にはいませんでした。<br /><br />　空襲はひどくなり、生きた心地もしませんでした。２４日も同じように空襲の猛威は衰えず山は焼け集落は壊滅状態で、ただオロオロするばかりでした。２５日の朝方、南のほうから、二千艦隊という米軍の艦船がやってきて、完全に島は包囲されたのです。<br /><br />　山に登って海を見わたせば、海は黒くなり、船と船との間を歩いていけるような状況でした。米軍は日本軍の陣地がある山に空からガソリンをまいて、焼き払いをしたのです。その後、一斉に島への艦砲射撃が行われたのです。艦砲射撃は主に島の裏側から砲撃し、山を越えて飛んできたのです。<br /><br />　上陸前の艦載機による攻撃は３日間続き、いよいよ上陸という時、住民は男女を訪わず軍の戦闘に協力し老人子供は忠魂碑の前に集合、玉砕すべしという命令が出されました。私はこのときは玉砕の伝令は聞いておりませんでしたが、後から知ったのです。<br /><br />　まさかこんな小さな島に米軍の大艦隊が来るとは、夢にも思ってもいませんでした。<br />たしか２５日に宮里盛秀助役のおくさんが（トヨさん）やってきて私達の壕へ行こうと誘いがあり、産業組合壕にいったのです。中にはすでに沢山の人達がいて、食料や役場の書類などが山積みされていたのです。<br /><br />　松田家の家族や農業組合の職員の家族と役場の三役他職員の家族がいたわけです。中はお米の上には子供達が数人座っていました。私達も中に入ろうとしたのですが、兄さんが中に入ると息子の守が窒息するので入らないというのです、それで私達は出ていったのです。<br /><br />　私達はその時までは死ぬ事は考えていませんでした。その時、船頭殿（センドーロン）の壕で宮里盛秀さんのお母さんが、皆なで死ぬのだからと黒砂糖を少しづつ分けて与えられたのです。<br /><br />　私はその時は島の周辺に居るアメリカ軍の機動部隊の凄い数の艦船を見たときから気は動転して、叉、２５日の島への徹底した猛攻撃にオロオロしていたわけで死ぬことの考えさえもありませんでした。<br /><br />　この状況からして生き残る事は無いだろうと思っていたのです。それから私達の壕にもどったのでした。そしたら壕には猫イラズの毒薬があったので、お母さんがこれを飲んで眠ろうと話してきたのです。死ぬことを覚悟したのでしょうね。<br /><br />　私は死ぬのがいやだったので、お母さんに、「これくらい毒の量では一家玉砕は出来ないよ」、ただ苦しんでアメリカ軍に捕まるだけだよ。アメリカーに捕まったらなにされるかわからないよ、私いやだといったのです。お母さんに逃げて、逃げのびようよと話をしたのです。<br /><br />　そしたらお母さんがうなずいたので、直ぐ猫イラズを捨てたのです。それから山中を逃げ回っていたら、番所山の頂上に大勢の住民や兵隊がいたのです。お母さんはそこでも死にたいということで、兵隊さんこのナタで私ども一家を殺して下さいと嘆願しているのです。兵隊はこのおばさんは怖いねと云って、その場所から逃げていったのです。お母さんは頭が狂ったように死ぬことばっかり考えていたのです。<br /><br />　これはアメリカ軍に捕まると娘と嫁に対して何をされるかという恐怖感があったのでしょう。それから私達は阿佐地区に逃げていきました。ユヒナの所にある水溜場に水を汲みにいったのです。これはおんぶしていた子供、守が元気がなかったので水をのまして介護したのです。<br /><br />　ユヒナ方面をさまよいあるいていたら、その時にそこにいた日本兵の中尉（Ｔ中尉？）が絶対、捕虜になるなと強く言われたのです。<br /><br />　捕虜になりそうなときは舌をかみ切って死になさいなどと云われたのです。その中尉はしばらくして久米島にサバニで逃げる途中でアメリカ軍の銃撃によって戦死したのでした。<br /><br />　私達は宮里盛永さんの身を潜めている場所を探していき訪ねました。その時にはいろいろなアメリカ軍の情報が入っていたので、投降を決意したのです。<br /><br />　妹は激戦の中でも負傷した兵隊達の治療手当は衛生兵の関根清さんと共にアメリカ軍の猛攻撃をうけながらも負傷兵を治療に専念したのは大変な御苦労だったと聞いていました。<br /><br />　先に捕虜になった日本兵の折衝により、妹はアメリカ軍に収容されたが、その時は収容されたことを後悔していました。当時の区長だった知念繁信さんに、君は看護婦なのだ、看護婦には敵も見方も関係ないのだよ、今、アメリカ軍に収容されている住民や日本兵の負傷者が大勢いる、アメリカ軍のドクターと共に患者の面倒をみてくれと頼まれたのでした。<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
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<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>戦争の話１４回目です。</title>
<description> 座間味うりずんです。　戦争の話です（1４回目）（住民の玉砕敢行）　住民は最後に追い込まれた自然壕のヌンルガマーガマの壕内では食糧もなく、乳呑み子を持つ母親は乳が出ず、子供は大声にて泣きわめいていたのでした。　泣けば皆で死なせと言う。親子の愛情も一瞬にして消えうせてしまう有様でした。壕内では漸く騒動し始めた。そして壕を脱出する者も居り、他は栄養失調で気力を失った者ばかりでした。　米軍の上陸当時「大和
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br />　戦争の話です（1４回目）<br /><br />（住民の玉砕敢行）<br /><br />　住民は最後に追い込まれた自然壕のヌンルガマーガマの壕内では食糧もなく、乳呑み子を持つ母親は乳が出ず、子供は大声にて泣きわめいていたのでした。<br /><br />　泣けば皆で死なせと言う。親子の愛情も一瞬にして消えうせてしまう有様でした。<br />壕内では漸く騒動し始めた。そして壕を脱出する者も居り、他は栄養失調で気力を失った者ばかりでした。<br /><br />　米軍の上陸当時「大和馬」の壕に居た仲村梁一家と５家族の３６名は米軍の上陸を知って老人達が家族を殺し自決を計り無惨な悲劇もあつたのでした。<br /><br />　又、「内川」の壕においては米軍の進撃に依って、あわてふためいた住民に対し野村正次郎村長・宮平正次郎収入役の両氏と避難していた住民はパニックと化し玉砕の準備にとりかかったのでした。<br /><br />　そして米軍が山頂迄進出したので産業組合にいた住民は、施すべき術もなく遂に意を決して、全員５９名天皇陛下万才を三唱して各自持参せる毒薬（アヒサン）小刀、カミソリの刃、手榴弾で午后１時頃自決を決行したのである。<br /><br /><br />　其の他、住民１７８名も自決した。これは敵上陸進撃の際は男女を問わず生きている者は潔く自決せよとの戦隊長命令に従順に従つたのである。<br /><br />　　写真は産業組合玉砕の碑です。玉砕は聞き取りの中で分析しますと。米軍上陸時の（２６日）の午前９時頃から１２時の間に行われたようです。<br /><br />　言い伝えの話では宮里盛秀助役は壕の住民が全員死んだのを確認して壕にやってきた米兵を１人殺し自分も玉砕したとのことです。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090824144230d43.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090824144230d43.jpg" alt="産業組合壕の碑" border="0" width="455" height="341" /></a><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-08-24T14:42:47+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村は水不足ピンチ。</title>
<description> 沖縄座間味村うりずんです。　座間味村では２０日の夜間八時より翌朝の八時まで１２時間制限給水の実施となる。　今年度によ入って２回目、今回は座間味ダムが３０％と阿嘉島の水源地が１０％になった事から座間味村は全域に制限給水となりました。　今回の時間制限給水はかなり深刻化していて、各家庭は予備のタンクを設置するなどして対応をしていました。　最近に置いては小雨傾向と台風の接近による雨の期待もしていたが期待も
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<![CDATA[ 沖縄座間味村<br />うりずんです。<br /><br />　座間味村では２０日の夜間八時より翌朝の八時まで１２時間制限給水の実施となる。<br /><br />　今年度によ入って２回目、今回は座間味ダムが３０％と阿嘉島の水源地が１０％になった事から座間味村は全域に制限給水となりました。<br /><br />　今回の時間制限給水はかなり深刻化していて、各家庭は予備のタンクを設置するなどして対応をしていました。<br /><br />　最近に置いては小雨傾向と台風の接近による雨の期待もしていたが期待もむなしくそれてしまいました。<br /><br />　座間味村は観光客も大勢やってくることから節水も呼びかけている。この状況で行くと時間制限給水の長時間も余儀なくされるのではと観光産業に携わる関係者は非常に心配しています。<br /><br /><br />　座間味区在住の民宿経営者の宮平幸進さんは今は何とかしのげそうだがこのまま行くと観光客に大変な迷惑をかける事になる。何とか台風の接近を願い雨をもたらすことを祈願をしないといけないのではと深刻の状態で語っていました。　　　<br /><br />写真は民宿あさぎでした。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC00216.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/DSC00216.jpg" alt="DSC00216.jpg" border="0" width="369" height="277" /></a><br />　　　　 ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-08-23T07:54:06+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>福岡県太宰府少年の船の一行が座間味島に来ました。</title>
<description> 座間味うりずんです。　福岡県太宰府少年の船協会（白水昭道会長）一行が１５日（土）、小学校３年生より中学校２年生までの子供達を対象に募集して百三名が引率者を含む定期船の高速船クィーンざまみで午後５時に座間味島の座間味港に来島した。　　　太宰府少年の船は今回が２８回目で座間味村には一昨年と今回の２回目の来村となった。　九州地区を持ち回りで実施している。各地域の文化・歴史や生活習慣などを地域の方達と交流
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　福岡県太宰府少年の船協会（白水昭道会長）一行が１５日（土）、小学校３年生より中学校２年生までの子供達を対象に募集して百三名が引率者を含む定期船の高速船クィーンざまみで午後５時に座間味島の座間味港に来島した。　<br /><br />　　太宰府少年の船は今回が２８回目で座間味村には一昨年と今回の２回目の来村となった。<br /><br />　九州地区を持ち回りで実施している。各地域の文化・歴史や生活習慣などを地域の方達と交流をしながらこれまで学んで来た。<br /><br />　同少年の船の一行が座間味港入りしたときに入村式も行われて宮里哲座間味村長が座間味村は歴史の背景には様々な事がありました。<br /><br />　去った太平洋戦争では米軍が沖縄戦の第一歩上陸の地となった事から沢山の村民が犠牲となりました。<br /><br />　平和を愛する為にも是非座間味村の戦争の話もきいて下さい。座間味村の海域も大変素晴らしいです。海洋体験学習などで座間味村の海を満喫して下さいと入村の歓迎の挨拶を延べた。<br /><br />　一行は早速、宿泊先の座間味村教育委員会の施設の少年交流センターに入所し体験学習となった。<br /><br />　１７日の午前中は座間味島の高台にある戦争で犠牲になった御霊を奉っている平和の塔に置いて島のガイドより戦争の全般の話の講話となり、千羽鶴が奉納された。その後座間味小中学校のグラウンドに移動して戦争体験者の宮里哲夫さんより体験話があり児童生徒達は真剣な眼差しで聞いて居た。<br /><br />　午後より座間味の海での海洋体験学習となり、１９日まで座間味村の海を満喫する。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090817164425a72.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090817164425a72.jpg" alt="２太宰府 (1)" border="0" width="410" height="308" /></a><br /><br />海洋体験学習などに満喫している子ども達です。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908171648359a4.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908171648359a4.jpg" alt="２太宰府" border="0" width="410" height="308" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908171649523ac.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908171649523ac.jpg" alt="２太宰府 (2)" border="0" width="410" height="308" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908171815026ff.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908171815026ff.jpg" alt="太宰府 (2)" border="0" width="410" height="308" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090817181621cb4.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090817181621cb4.jpg" alt="太宰府 (4)" border="0" width="410" height="308" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090817181932c41.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090817181932c41.jpg" alt="太宰府" border="0" width="410" height="308" /></a><br /><br />太宰府の少年の船の児童生徒達は１６日午後より、座間味村の海洋体験学習となり座間味村の海を満喫しました。<br />沖縄の伝統的なサバニの漕ぐ訓練とレースも楽しみました。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819131943aa7.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819131943aa7.jpg" alt="19日太宰府 (1)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908191321072ea.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908191321072ea.jpg" alt="19日太宰府 (2)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br />叉。夜の部ではバーベキュウなどもあり楽しい一時を過ごしました。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908191324074f2.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908191324074f2.jpg" alt="19日太宰府 (3)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br />地元の方達です。島の子ども達なので泳ぎも達者で、少年の船の児童生徒達にいろいろ教えていました。バーベキュウ会では皆さんと交流も深めました。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819132748146.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819132748146.jpg" alt="19日太宰府 (5)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br />同じくバーベキュウ会の様子です。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819133011b71.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819133011b71.jpg" alt="19日太宰府 (4)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br />１８日の夕べの集いも子ども達は元気よく活発にしていました。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/2009081913345816b.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/2009081913345816b.jpg" alt="19日太宰府 (6)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br />叉、夕べの集いでは地元のアーティスト達も特別出演して子ども達は大変な喜びようでした。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819133715515.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819133715515.jpg" alt="19日太宰府 (7)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908191338119c7.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908191338119c7.jpg" alt="19日太宰府 (8)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br />１９日の午前１０時には帰途につきました。場所は座間味港浮き桟橋です。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819133949bc7.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090819133949bc7.jpg" alt="19日太宰府 (9)" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br />高速船のクイーンざまみにて那覇向け出港です。<br />その時に遠い沖まで島の人達が見送りをしていました。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/2009081913411933c.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/2009081913411933c.jpg" alt="19日太宰府" border="0" width="369" height="277" /></a><br /><br />太宰府の少年の船の皆様来年も是非おこし下さい。お待ちしています。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-08-17T16:44:38+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村の水事情が悪化しています。</title>
<description> 座間味うりずんです。座間味村のダムの水位が３５％になったことから、２０日午後８時より翌朝の８時までの１２時間の制限給水となりそうです。　このまま状態でいきますと座間味村は大変な事になりそうです。せっかく夏休みに入ったのに観光客には迷惑をかけそうです。座間味村は海洋レジャーが主だけに他の観光地より一人当たり３倍の水の消費だそうです。　座間味村では台風の上陸を願っている深刻な状況です。写真は１２日の正
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />座間味村のダムの水位が３５％になったことから、２０日午後８時より翌朝の８時までの１２時間の制限給水となりそうです。<br /><br />　このまま状態でいきますと座間味村は大変な事になりそうです。<br /><br />せっかく夏休みに入ったのに観光客には迷惑をかけそうです。<br /><br />座間味村は海洋レジャーが主だけに他の観光地より一人当たり３倍の水の消費だそうです。<br /><br />　座間味村では台風の上陸を願っている深刻な状況です。<br /><br />写真は１２日の正午（１２時）頃の座間味ダム状況です。<br /><br />座間味村役場では節水の協力を１２日から村民に呼びかけています。<br /><br />神様どうか座間味村に雨を降らして下さい。地球上にいらっしゃる神々様にお祈りします。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908121233335ad.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908121233335ad.jpg" alt="１２日ダムの状況" border="0" width="410" height="308" /></a><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-08-12T12:33:41+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村の夏休み情報と座間味島祭りについてです。</title>
<description> 座間味うりずんです。　　　　座間味村の夏休み情報　　　　　　　座間味島祭り　夏休みに突入した座間味村は連日に賑わいを見せています。実施的には１８日より連休と重なり座間味村の海域は海洋レジャーを楽しむ観光客が県内外より殺到しています。県内外よりの観光客は人口の３倍に膨れあがり大変な活気を見せています。　天気にも恵まれまして観光客の入り込み状況は上々、夏休み期間中の週末の定期船は満席状況とのことです。
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br /><br />　　　　座間味村の夏休み情報<br />　　　　　　　座間味島祭り<br /><br />　夏休みに突入した座間味村は連日に賑わいを見せています。実施的には１８日より連休と重なり座間味村の海域は海洋レジャーを楽しむ観光客が県内外より殺到しています。<br /><br />県内外よりの観光客は人口の３倍に膨れあがり大変な活気を見せています。<br />　天気にも恵まれまして観光客の入り込み状況は上々、夏休み期間中の週末の定期船は満席状況とのことです。<br /><br />　特に今週は盆とも重なり定期船は満席の状況とのことです。<br /><br />６日から台風８号接近のため定期船は６日より９日まで欠航となり、訪れる観光客に大勢足止めさせられて被害甚大でした。でも今週は沢山の観光客がきます。<br /><br />　人口の３倍に膨れあがるとのことです。<br /><br />７月より高速船クイーンざまみは１便増便の３便を８月の３１日まで運行です。<br /><br />フエリーざまみは毎日１便の往復です。夏休み期間中の週末は全便とも満席状況で早いうちに座間味村役場船舶課に予約をして下さいと呼びかけています。<br /><br />　今年の人気ビーチは座間味島の古座間味ビーチと阿嘉島の北浜（ニシハマ）ビーチです。<br />最近においては天気も素晴らしく海の青さが一段と輝きコバルトブルーの透明度は訪れる観光客達に感銘を与えています。まさしく若い女性達より「うそーうそー」の言葉の連発が出ていました。<br /><br />　また、満点の空は夕日を見ながら空の色の変化を見ながらの星空観察も座間味村ならではないかと思います。<br /><br />　また、来週の２２日の土曜日は座間味島祭りも開催されるとあって、それに参加のために県内外よりまた大勢の観光客がきます。<br /><br />　祭りは島の人達の手作りの祭りで出演する人達は全部島人が行います。港内のターミナル広場で行う座間味島祭りは花火も打ち上げられますが。花火の光が海水面に写しだされますので会場に訪れる皆さんは大変喜ぶ事でしょう。<br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-08-09T17:37:35+09:00</dc:date>
<dc:creator>パパイヤ光太郎</dc:creator>
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<title>座間味村の戦争の話１３回目です。</title>
<description> 座間味うりずんです。戦争の話です（1３回目）（自然壕での生活）　座間味島の裏海岸にある只一つの頼みとするこのヌンルガマーガマ壕は入口をアダン葉に隠れた壕で奥行きが４０米程もあって海岸にあるため満潮時には到達する事が出来ぬ壕で敵艦からは、わずかにアダン葉にてかくされている程度のものでした。これが住民の頼みとする唯一の壕であつた。その時は既にそこには三百有余人の住民がぎっしりとつめ込んでいたのでした。
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<![CDATA[ 座間味<br />うりずんです。<br />戦争の話です（1３回目）<br />（自然壕での生活）<br /><br />　座間味島の裏海岸にある只一つの頼みとするこのヌンルガマーガマ壕は入口をアダン葉に隠れた壕で奥行きが４０米程もあって海岸にあるため満潮時には到達する事が出来ぬ壕で敵艦からは、わずかにアダン葉にてかくされている程度のものでした。これが住民の頼みとする唯一の壕であつた。その時は既にそこには三百有余人の住民がぎっしりとつめ込んでいたのでした。。<br /><br />　そして物音一つたたず不気味な空気が壕内をつつみ恐怖に、おののく人々、我が子の口に手拭を押しあてる親、或は生米をかじっている子供すべて敵の察知を恐れて、物音を立てず、只、時々ため息が聞えるだけでした。<br /><br />　そして此の壕には水がなく皆、着の身、着のままで食糧の持参もなく、昼は敵の看視がきびしく、わずかに暗夜の干潮時に辛うじて壕をとび出して水を求め食糧を探す程度のものでありました。<br /><br />　中には小便を吾が子にすすらして渇をしのぐ者も居たのでした。<br /><br />　日がたつにつれて飢餓に追われ、泣きわめく我が子に手拭を口に押しあてて泣き声を止め、又、声を出す者は皆の為にしめ殺すとの事までも互に決められていたのでした。<br />　<br />　泣く子がいると「そいつを殺せと」罵声を発して叫ぶのでした。<br /><br />　戦争は益々、熾烈（しれつ）化とし、食糧は食いつぶし、餓死に近い状況に入っていた。其の窮状（きゅうじょう）を見兼ねて１住民の大城松三氏は自ら申し出て三百人の食糧を補給するため銃弾をくぐって壕を脱出した。<br /><br />　脱出後四日目に彼はやつと帰って来たが食糧は持ち帰る事が出来ず。アメリカ軍の銃撃にあい重傷を受けてまもなく息を引き取つたのでありました。<br /><br />　叉、先にアメリカ軍に収容された上原武造氏はアメリカ軍の日本２世の方に嘆願して座間味島の住民が避難しているヌンルガマーガマの状況を説明して住民の収容計画をたて通行証を作成させて説得にいったのですが上原武造氏はヌンルガマーガマにやってきて全員に投降を呼びかけにきたが壕にいた日本軍のある中尉に「おまえはスパイかとっとと帰れ」などと罵声を浴びせられたのでした。<br /><br />　上原武造氏はやむなく帰っていったが、そのまま収容先に帰ればよかったものの。阿佐にある自宅に帰り、後から追ってきた日本軍の２名に、自宅の仏壇前にて後ろから軍刀で殺されたのでした。<br /><br />　叉、阿佐区の石川重義さんと慶留間次夫さんはアメリカ軍の情報をかなり得ていたので住民を助けるために収容交渉をするためにアメリカ軍に行くことにした。そのことが日本軍に知られて交渉に行く途中、日本軍によって後ろより銃殺されたのでした。<br /><br />　そのようなことからしても戦隊長は玉砕命令をしなかったと云い続けるのか。まさしく玉砕命令より、きつい仕打ちでは、なかったのではいでしょうか。<br /><br />座間味島の裏海岸にあるヌンルガマーガマの前です。アダンの木が生えている後ろにガマはあります。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908081631553f4.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/200908081631553f4.jpg" alt="ヌンドルゥーガマ (10)" border="0" width="320" height="240" /></a><br /><br />　ヌンルガマーガマ中の状況です。<br />　ホントに狭いのによくも３００人が避難したものです。<br /><a href="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090808163330dc7.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-31.fc2.com/z/a/m/zamami/20090808163330dc7.jpg" alt="ヌンドルゥーガマ (9)" border="0" width="320" height="240" /></a><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>座間味情報</dc:subject>
<dc:date>2009-08-08T15:41:59+09:00</dc:date>
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