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ユウコンさん仲間の皆さんが座間味島にきました。

座間味

うりずんです。

 座間味島に優子さんとその仲間達の3名が座間味村の自然を満喫していました。

優子さんのことを今後親しくなるために、ユウコンさんとニックネームを命名しました。

 今後とも、よろしくお願いします。4名の皆さんは座間味海域においてザトウクジラのパフォーマンスを見て感動していました。

 そして私の奥さんの小料理店で沖縄料理を頂き喜んでいました。

 又、座間味村におこし下さい。まっていまーす。ユウコン。

鈴木ゆうこん

座間味村にサンゴ保護援護活動資金の寄付がありました。

座間味
うりずんです。

 座間味村役場(宮里哲座間味村長)では23日沖縄コカ・コーラボトリング株式会社の社長室において午前  10時より、座間味村のサンゴ保護活動のためにとサンゴ応援寄付金として石岡勝三郎代表取締役社長より宮里哲座間味村長に応援資金10万円が贈呈されました。

 座間味村は、サンゴの「ふるさと」として、長期的なサンゴ保全、保護活動に村一体となって取り組んでいることから、同株式会社よりの今回の応援資金の贈呈となりました。

 石岡代表取締役社長は「慶良間海域においては、沖縄全島へのサンゴの幼生の供給源として重要な海域であるとともに漁業資源。観光資源としても価値の高い海域です。どうか活動資金として利用して下さい」と延べられました。

 宮里座間味村長は「座間味村の観光資源である海域に対して大変なご理解を頂きこのような応援資金を大事に活用させて頂きます」と延べられました。

同社は今までに環境推進活動として各種の団体に対して助成の支援を行ってきたとのことでした。

写真は右より沖縄コカ・コーラボトリング株式会社の離島営業課座間味村担当の石嶺克行さん 同社の石岡勝三郎代表取締役社長

宮里哲座間味村長、金城英紀座間味村役場公営企画課主任です。

小古里応援寄付金


座間味区の今年の行事について。

座間味
うりずんです。

 座間味区の今年の神行事のお知らせです。

 今年の座間味区の行事が初ウガミにおいて座間味島3区長及び神人と協議して決定しましたので区民及び座間味フアンの皆様にお知らせいたします。

 今年も区民及び座間味フアンの皆様の御協力をお願いします。
 親睦交流をしっかりと深めて連携を共に保ちたいものです。

     1月11日(旧12月8日)ムーチー(終了)

     2月3日(旧1月1日)旧正月(終了)

     2月4日(旧1月2日)ハチウクシー(終了)

     2月5日(旧1月3日)ハチウガミ(終了)

     2月18日(旧1月16日)ジュウロクニチー(終了)

     3月19日(旧2月15日)2月ウマチー

     4月5日(旧3月3日)浜ウリ

     5月17日      アブシバレー

     6月16日(旧5月15日)5月ウマチー

     9月16日(旧8月19日)海神祭(ウミウガン)

     10月16日     ウタキノボリ

     12月下旬      年ジリ

 特に4月5日(旧3月3日)浜ウリ行事は座間味村上げての大行事です。座間味フアンの皆様、座間味村におこし頂き参加されては、如何でしょうか。お待ちしています。



 

 

座間味村よりハイサイです。

座間味
うりずんです。

    座間味村よりハイサイです。
      座間味村字阿嘉 金城勝英さん(七三才)

 座間味村農業委員会の金城さん座間味村産業祭が悪天候により、正式に開催されず残念がる「今年の冬はかなり厳しい状況化にあったが、でも作物は良く出来ている。

 今年の農作物の出来栄えを村民と共に喜びたかった。私のトマトもまだ収穫が出来ないが数珠なりの大玉の出来栄えは最高」と語りました。

 金城さんと阿嘉区の農地を視察、数多くの農作物が見事な成果だ。昨年はカラスとケラマシカの食害にあい農家の皆さんショックだったとのことだ。今年は防除する網などを畑周辺を囲む等して対策を講じて来た。これからの収穫が楽しみですと微笑んだ。

植え付けしたトマトの側で満足そうな金城さんです。
DSCF0102.jpg
  

座間味村の歴史散歩の話です。

座間味
うりずんです。

   座間味村の歴史散歩
   137年前の証言

  阿佐ヤマトウマ 和久田勇次郎の墓

 座間味区から阿佐区ぬける村道座間味阿佐線の座間味生コンがある砂置き場の海岸沿いに1メートルくらいの高さの墓がありますが、これは今から137年前に建立された墓です。明治6年4月に建てられた。和久田勇次郎(現在の千葉県木更津市出身)という方のお墓ですが、では、なぜ千葉県から遠く離れた座間味村にこの方は葬られたのでしょうか。

 話はずいぶんさかのぼりますが、明治4年12月に起こった、ある事件と深い関係があるのです。その事件とは、那覇を出港した宮古の船が宮古島の近くにさしかかった時、風向きが変わって台湾に流れついてしまい、乗員、乗客66人のうち54人が、台湾人によって殺されたのでした。

 歴史的にも有名な「台湾事件」なのでした。

 明治4年と言えば、日本では廃藩置県が行われ、琉球王国は鹿児島県の管轄に無理矢理入れられますが、この事件をきっかけに、翌年(明治5年)には琉球藩となって明治政府の外務省の管轄に入れられました。つまり日本国政府としては、琉球が長年、清国(現在の中国)と親しく貿易を行っていたのですが、琉球は日本の領土であることを強調したかった訳です。そして台湾に対しては、日本人を殺したことを理由に征伐に乗り出すことになったわけです。

 和久田勇次郎の墓は、実はこの台湾征伐と大きな関係があったのでした。

 明治6年1月、日本政府は海軍省水路局に対して、南西諸島の水路測量を命じたのでした。これを水路局開設以来の大計画ともいわれ、台湾への兵隊派遣の前準備として、風向や潮流、水深、避難港など、南西諸島の水路事情を知る必要があったわけです。

 そして2月測量艦は品川湾を出発し、琉球にやってきました。この総指揮をとったのが、柳楢悦(やなぎ・ならよし)海軍大佐で、4月10日、強風が吹き荒れる中を柳大佐ら一行は避難のため阿護乃浦港に入港したのでした。

 ところで、その翌日、乗組員の1人である和久田3等水夫(当時24才)が亡くなってしまったのです。墓刻銘には「突然の脚疾」で亡くなられたと刻まれていますが、亡くなられた詳しいことは現在でも分かりません。
和久田勇次郎の遺体はヤマトウマの一角にうめられ、古里の千葉に向けられて墓碑が建てられています。現在でも墓は残っています。

 明治7年には、彼らの測量に基づいて西郷従道(つぐみち)(西郷隆盛の実弟)率いる軍隊が台湾に斬り込み台湾を征伐したのでした。

 私達座間味村あるいわ慶良間諸島においては歴史の背景に様々出来事がありました。

和久田勇次郎も日本国の為に殉職したと言っても過言ではないでしょうか

和久田勇次郎の墓です。
137年ぶりではないかと思われますが、私と他2名で参拝をしました。お酒とお水をお供えして、墓標に水を注ぎました。又、周辺もアダンの木でおわれていましたので、除去しました。
明治6年4月11日に亡くなられたのことですので、命日の日にお参りします。
DSCF0229.jpg

座間味村の産業祭。

座間味
うりずんです。 

 第46回座間味村産業祭と第9回座間味村健康福祉祭(宮里哲座間味村長)では11日座間味村の阿嘉島にある阿嘉港ターミナルホールで午前01時30分より、開催予定でしたが大陸性季節風が吹き、海上時化のため村民あげての祭は中止となりました。

 それでも前日、農作物や加工品などの展示はしていたので阿嘉区民と慶留間区民が参加参観して会場は賑わいを見せました。

 例年だと開会行事から始まり、表彰まで行われるが今回は中止となりました。

 それでも会場には農作物の展示や加工品の展示、加工生産者が作られた加工品の販売・バザーなどの販売もあり参観者で賑わいました。

 座間味村は3つの有人島ががあるが今回は初めて会場の場所を変えて阿嘉島の阿嘉港ターミナルホールにおいて開催の予定でしたが生憎の天気により、規模縮小しての祭は午前中で終了、座間味島の島人は阿嘉島まで行けなかったので座間味離島総合センターで昼食としてカレーを振る舞い区民の人達は一時を過ごしました。

 農作物と加工品は前日に会場に運びこまれていたので南部農業改良普及センターより審査員として2名が招聘されて審査を行ったが講評がなされませんでした。

 農業経営担当の石垣盛康さんは「昨年の農作物より今年のは全体において素晴らしい出来栄え座間味村は農薬を一切使用していないが見栄えは素晴らしい講評出来なかったのが残念」と語りました。

農作物や加工品などの展示物を見る阿嘉区と慶留間区の皆さんです。
DSCF0117.jpg

産業祭の大旗も作ったのに正式に開催されず残念でしたねー
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座間味区の山に新緑が生えだしました。

座間味 
うりずんです。

 座間味島の座間味区の山の谷間にイタジーの木が新緑の芽が生えだして訪れる観光客の目を楽しませています。

 座間味村は去った太平洋戦争慶良間戦においては艦砲などの猛攻撃で山は焼かれて殆どの木が壊滅状態となりました。

 それでも谷間に生えているイタジーの木は根っこが残っている状態で、戦後、芽が生えだして現在では谷間だけに巨大木として山を包んでいます。

 座間味村の山は戦後、琉球松を造林してきました。

 座間味村は沖縄県において明治34年に最初にカツオ漁を始めて導入してケラマカツオ節と名声をたててきました。

 名声をたててきたのが琉球松を利用して燻製木として使用したのが高値で取引されました。

 山は八割近くが琉球松で後は琉球ハゼの木とイタジーの木が殆どで、最近は少し他の天然林も生えてきています。

 山頂の林道を散策しながら、周辺海域よりザトウクジラを発見しながら新緑を眺めて、又、ケラマツツジの開花もあり、座間味島は今、春いっぱいといった感じです。観光客には好評になっています。

 新緑の芽を生えだしたイタジーの木です。
DSC00758.jpg

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