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座間味村でジャズ・コンサート演奏会がありました。

座間味
うりずんです。

 那覇市内にあるジャズ・バー「寓話」の企画により、ジャスを愛すメンバーと仲間達約120人が定期船のフエリーざまみで27日座間味島入りして午後5時より野外ジャズ・コンサートが開催されて参加した方達はジャズ演奏に酔いしれて盛り上がりを見せました。

 これはジャズ・ピアニストで沖縄ジャズ協会会長だった、故、屋良文雄さんが今から三十年前から企画して毎年この時期に行って来ました。

 これは座間味村が沖縄戦において大勢の犠牲者をだしたことから日本全国のジャズ・フアンを参加させて野外ジャズ・コンサートを行うことで平和の発信地として座間味村の阿真青少年旅行村で行ってきました。 
 屋良文雄さんは平成22年4月に死亡したがその意思をついで奥さんの成子さんや子ども達がジャズ・バー「寓話」経営してきて野外ジャズコンサートも行ってきました。

 長男の屋良朝紀さん(42歳は)「お父さんは本当に立派な方でした。このことを大事に野外コンサートを繋げていきます」と誇らしげに語りました。

 今回の野外ジャズ・コンサートは県外の参加者達は約50人も楽器などを持参して演奏なども行い参加している人もいました。

 東京から来た男性は「私はかなり前から毎回参加してきた本当に素晴らしい演奏会です。これからも毎回参加いたします」と微笑みで延べました。 

  ジャズの演奏によって歌う女性です。皆さん来年も来て下さい。待っています。
DSCN2832.jpg

 

マリリンに逢いたいからもう27年たちました。

座間味
うりずんです。

 白い犬が海を泳いで「恋人」ならぬ愛犬に逢いにいく。

 この話題が最初に新聞(琉球新報)で通信員として私が掲載して報道されたのが1986年(昭和61年)の暮れも押し迫った12月14日のことでした。

 それ以来、「シロとマリリン」はたちまち全国愛犬家の注目を集めることになり、全国ネットのテレビ、新聞、週刊誌などの取材が座間味村に殺到したのでした。

 それからほぼ1年を経て、1988年(昭和63年)には、映画「マリリンに逢いたい」が制作されて、海峡を渡るシロとマリリンの恋物語が全国ひいては世界中に紹介されました。

 このほのぼのとした愛犬の恋物語は事実に基づいて制作され、広く国民に感動を与えるとともに、ダイビングのメッカの地としての座間味村を有名にし座間味村の観光事業に大きく貢献しました。

 私は映画企画から制作まで田中登元村長よりこのことは君が火付け役なので松竹映画会社と共々に協力をして素晴らしい映画制作して座間味村が一世一代の観光地としてなるチャンスだ芳和君頑張ってくれと伝えられて、それから約1年近く助監督的な役割をさせられたのでした。

 マリリンは、映画の制作を待たず1987年(昭和62年)8月28日に亡くなりました。シロはその後も長らく阿嘉島の中村利一さん宅で元気で生きていました。しかし、そのシロも(平成12年)11月26日、天国に召されマリリンのもとへ旅立ちました。

 そこで座間味村においては動物愛護と自然保護の精神、そして「世界の恒久平和」を基本理念とし、「シロとマリリンの恋物語」を末永く後世に伝えていくことを目的に平成13年に阿嘉島にシロ、座間味島にマリリンの銅像を向かい合った状態で建立したのでした。

 平成28年には恋物語から30年になります。私は記念事業をなにか行うことを考えています。皆さん良いアイデヤがありましたら教えて下さい。

 シロとマリリンを讃える座間味村イメ-ジソングです。
 この歌も私の企画制作です。

  歌題名 「青の楽園」

あなたが待つ あの島から 南風が吹いてくる
胸にわきあがる いとしさが
高く 雲を 超える

虹の橋を くぐりぬけて はるか とおく 進む船
真っ赤に燃える 花の影に
集う島人たち

広がる空の下(もと) 泳ぎだそう
澄みわたる 青の楽園
ああ いつの日も海は
何もかもつつみこむ 深い 愛のよう

    まだ歌詞は続きますが、ごここまで紹介いたしました。歌は癒し系のソングです。
    
  阿嘉島のシロです。座間味島のマリリンと向かい合っています。
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  座間味島のマリリンです。私は花の首飾りを毎月1回は交代して付け替えしています。
DSCN2815.jpg
  
  シロがマリリンに逢いに行く時に泳いで渡るときの写真です。
DSCN2819.jpg

座間味村で無人島での原野火災がありました。

座間味
うりずんです。

 座間味村の無人島安慶名敷島で原野火災が午後1時10分頃発生して島の半分の面積が焼け野原となりました。

 その頃には安慶名敷島には観光客が30人程いました。

 最初は不発弾による発火も考えられていましたが。私が調査した結果はそのような形跡はありませんでした。

 座間味村役場は自衛隊に要請をして消火に当たりました。

自衛隊はヘリコプターに水タンクをつり下げて海水を汲みあげして消火に当たりました。

 完全に消火して作業を終了の頃は午後6時に終了しました。

 座間味村は去った太平洋戦争で沖縄戦の米軍が第一歩の地として大変な犠牲になったことから沢山の不発弾もあり、戦後あちらこちらで自然爆発して原野火災が多く発生し、又、犠牲者もでました。

 そのことから座間味村消防団は現地も調査していました。

  安慶名敷島の火災状況です。
  定期船クイーンざまみが出港の時には火事の真っ最中でした。
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 自衛隊による消火活動です。タンクに海水を汲み散水して消火を行っていました。
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小料理うりずんに来られた5人さん頑張ってますか。

座間味
うりずんです。

 7月8日と9日に私の母さん経営の店小料理店うりずんに来て頂きありがとう御座いました。
私も2日間大変楽しかったです。又、座間味にお越し下さい。座間味に来るときは電話を下さい。

 又、改めて座間味村の楽しい観光地巡りも良いと思います。

 座間味村は古い時代よりいろいろな歴史があります。小さな島ではありますがビッグな出来事が時たまあります。

 10月11日(金曜日)は座間味区は海神祭(海の祭)があります。座間味区では三大行事の一つでもあります。区民総出参加して観光客も大勢参加します。

 皆さんお越し下さい。

5人さんもこのブログになにかコメントを下さい。

  座間味港で私は見送りに行きました
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 5人さんさょうなら又逢う日まで。
  (シャロンの歌)
綺麗な思いで抱きしめて、又、あおう 又、あおう さょうなら
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座間味村で那覇間のヨットレースがありました。

座間味
うりずんです。

 第36回座間味ヨットレース実行委員会(座間味村長宮里哲会長)では宜野湾マリーナより、座間味港の間のヨットレースがヨット26艇とクルーが約250人が参加して展開されました。

艇宜野湾マリーナをクラス別にクラスⅡが13艇、午前8時30分に、クラスⅠが13艇が九時にスタートとして座間味港まで約二十八マイルの間のレースは絶好のレース日和となり、南南西の風が約7~8㍍吹き好スタートとなりました。

 レースは順調に行われて参加艇は26艇だったが1艇がトラブルが発生してリタイヤ、25艇は順調に座間味港内に設置されたゴールブイにゴールして完成が上がりました。

 その後、レースが終了して、村民や観光客をヨットに乗せて試乗会も行い座間味港は賑わいを見せました。

 夜の部として表彰式や懇親会なども行われました。

  最後にゴールした宜野湾所属のペイキューK2(渡嘉敷兼正艇長)(62歳)読谷村在住は「4名のクルーと楽しくレースが展開出来ました。今年度慶良間諸島が国立公園に指定されると聞きレースの参加も大変意義深いものを感じながら行いました。」   と笑顔で語りました。

 結果は次のとおり。
総合優勝 ヘンサー 
クラスⅠ優勝 リザ
クラスⅡ優勝 ヘンサー
ファストフォーム賞
      エスプリ 
 座間味港内に設置されたゴールブイに到着状況写真です。
小ヨットゴール

座間味村よりハイタイです。

座間味
うりずんです。

 座間味村よりハイタイです。
    
  座間味村教育委員会英語教諭
マイケル・キングさん
 
 昨年の8月にイギリスのロンドンより英語教諭として座間味村に来たマイケルさんは座間味村の小さな慶留間島に住み座間味村内の3中学校で英語の教諭として頑張っています。

 又、地域住民と共に頑張っているのは村民が大変な感心を寄せています。

 特に慶留間島は人口が約七十人しかおらず住民と地域活動や学校行事などを積極的に行っています。

 今回の第14回サバニ搬送レースも慶留間地区からも「えびす丸チーム」として参加しているが「私の国ではこのようなレースはなくて沖縄の座間味村に来て始めての体験で練習を重ねてきて漕ぐ要領はしっかりと学びました。

 英語の教諭として座間味村にこれたことはいろいろな貴重な体験をさせて頂きました。座間味村最高です残された来年までの勤務は大事に過ごしたいです」と笑顔で語りました。

出発前のマイケル・キングさんです
マイケル・キングさん

6月30日座間味村と那覇間のサバニ搬送レースがありました。

座間味
うりずんです。

 帆掛けサバニで早さを競う「第14回サバニ帆漕レース」主催・「那覇市、座間味村(帆かけサバニ保存会)」が1日、同村、古座間味ビーチと那覇港沖間の約36キロコースで行われました。

 昨年は32艇が出場したが今年は33艇の参加となり年毎に参加艇が多くなっているのに関係者は喜んでいました。

 その日は絶好のレース日和で会場では例年にない賑やかさを見せて各チームとも掛け声をかけあい盛り上がりを見せていました。

 同ビーチで座間味島の神人が航海安全の祈願後、約千人程の関係者や村民・観光客が見守る中、午前9時にスタートしました。

 叉、伴走艇として約50隻ほどが参加してレースを見守りながら航海安全に対応していました。

 前日より各参加者は座間味島入りして人口が2倍に膨れあがり大変賑わいを見せました。
         
 昨年度までは沖縄のアウトリガーを取り付けていない伝統的な古式サバニ搬送レースとサバニにアウトリガーを取り付けたレースを展開してきていましたが作年度より、これを二部門に分け沖縄県知事賞が創設されて伝統的なサバニ搬送レースに知事賞で表彰されました。

 表彰式と祝賀会は那覇市の泊港内の広場において、サバニ搬送レース実行委員会より優勝者や健闘した艇のクルー達も表彰されました。

 レースは好天気の日和となり南西の微風の追い風で全艇が渡嘉敷村の北海岸の沖合をスムーズに通過し毎回のレースで悪戦苦闘したナガンド島の海域周辺も全艇が楽に通過しました。

 総合のレースの一位は昨年と同様、4ヶ年連続の座間味村座間味区のざまみ丸(宮村幸文艇長)が見事なタイムでゴールしました。

 古式サバニ搬送レースは糸満市所属のエミ丸(高良和昭艇長)が一位となりました。

 座間味村立座間味中学校の「海学校チーム」16人も大人達に負けないぐらいのサバニの操作や漕ぎ方は見事で校歌にある「万里の波濤乗り越えて」の歌詞もあるように意気込みを意識して漕いだとのことで見事上位でゴールし表彰式においては特別優秀賞が贈られて会場の参加者の全員より感動の拍手が贈られました。

古座間味ビーチ海岸で出発時の状況です。
25サバニ搬送レース



 


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