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座間味村の戦争の話です。

座間味
うりずんです。

 座間味島戦争記録

1 座間味村の隣保班(りんぽはん)

 昭和12年の日中戦争以来、日本国内では物資欠乏とインフレで長期攻戦が告げられるようになった。アメリカの経済制裁を日本国はうけることになり、とくに石油を中心とした戦略物資に不足をきたしたのである。それを打開するため、日本は豊富な資源のある南方諸地域に目を向け、「大東亜共栄圏」構想を打ち出した。そしてその開戦初戦として、ハワイの真珠湾に奇襲攻撃をかけたのである。

 村民はフイリッピン空襲、マレー半島占領、シンガポール爆撃など戦況朗報に産業組合のラジオの前に集まった住民達は歓喜にあふれたのだ。その日は夜になると集落内を提灯行列し、次の朗報への期待に胸を膨らませていた。

 この頃から隣保班が設置されて戦争への認識体制が構築されていった。

 座間味村では隣保班として座間味に16班、阿佐2班、阿真2班、阿嘉9班慶留間4班が組織された。会議は隣保班の上部組織として位置づけられ、毎月1日に44名の人達が集まり会議が行われた。

 構成メンバーは各班の班長と村内の有力者で組織されていたようだ。
   常会には次のように「誓」の言葉があった。

  ささやかなこの集ひながら、必ず王国の礎としておおきな
    役目を果たします。

  この集ひにおいては、お互いに私を去って語り合ひ、唯ひとすぢに
    皇国につくす覚悟を固めます。

  この集ひによって皇国に生まれた喜びを新たにし、一丸となって
    大御心に奉らんことを誓います。

 という内容のもので、住民達の行動が、細分化された隣保班は大政翼賛会の直接の指導があり、産業組合をとおした配給物資の割り当て、軍需用に使用する古鍋・古鉄供出、出兵兵士入営激励と見送り、「英霊の」出迎え、食料増産へとせわしくなっていった。

 ◎大政翼賛会(たいせいよくさんかい)
「1940(昭和15)年10月、近衛文麿総理大臣を中心に、新体制運動推進のために創立された組織。総裁には総理大臣が当たり、道府県支部長は知事が兼任するなど官製的な色彩が濃く、翼賛選挙に活動したのをはじめ、産業報国会・大日本婦人会・隣組などを傘下に収めて国民生活のすべてにわたって統制した。1945年国民義勇隊に再編され解散した。」

  戦争のために建立された忠魂碑です。靖国神社と同じ位置づけで戦争に亡くなった島の人は一人は祭られてるとの話を聞いています。
sDSCN9547.jpg


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