パパイヤ光太郎=プロフィール=


☆座間味村座間味島にて
S23年5月24日生まれる。

☆S45年4月 座間味村役場に採用
☆S55年琉球新報社通信員に委嘱
☆S62年 映画「マリリンに逢いたい」記事に掲載。座間味村が話題になる。

=現在=
☆座間味ガイドインインストラクター
☆琉球新報社通信員
☆小料理店うりずん経営

携帯 電話090-1943-2432


Author:パパイヤ光太郎
FC2ブログへようこそ!

ご来客数

メール

リンク

広告エリア

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

By FC2ブログ

ユーザータグ

座間味 うりずん 座間味村 宮里芳和 沖縄 那覇 観光客 パパイヤ光太郎 ガイドインストラクター 野鳥 スイカ 定期船 パレード 船団 アマサギ  屋久島 体験学習 戦争 千葉 サザエ 民宿 サギ 大型連休 平和学習 浜松 滋賀県 佐倉南高等学校 千葉県立 役場 高校生 自然体験学習 明治 平和学習ガイドブック 戦争体験 清明祭 座間味村教育委員会 神行事 自然環境 大交易時代 魚介類 牧場 阿真 大潮 島内観光 シャコ貝 チュウサギ やまきがい スキュバーダイビング 大井高校 鳥獣保護 農家 礒釣り 小料理 光太郎 三味線 さしみん 初夏 東京 太鼓 小料理店 クィーンざまみ 音楽  カツオ 宮城克年 笹子重治 桑江知子 宮良ひろみ マグロ 刺身 北大東村 浜下り 伊江島 観光 沖縄県公文書館 パパイヤ クジラ シーズン ガイド 海びらき 教育委員会 ガイドブック 退役 アメリカ国 豪華客船 軍人 ユリ 学習 平和 潮干狩り 米兵 戦後生まれ 糸満地区小体連駅伝大会 慶留間小学校 糸満地区小学校体育連盟 教科書検定問題 太平洋戦争 慰霊祭 グラマラン機 集団自決 請求棄却 メールアドレス コメント 座間味村役場 成人 婦人会 座間味中出身 宮平秀保座間味村議会議長 消防出初め式 太陽暦 閏月 座間味港ターミナル広場 仲村三雄村長 遺族会関係者 座間味診療所 子ヤギ 山羊 渡り鳥 タクラマカン砂漠 ゴビ砂漠 偏西風 鉱物粒子 土壌 黄土高原 カラス バードウオッチング タマネギ ラッキョウ 古座間味地区 ヤツガシラ カボチャ ニンニク 阿真地区 人参 大根 県立那覇病院 離島総合センター アーサ  避難場所 幼稚園児 インスタントラーメン 健康食品 古座間味 作物  健康 教科書 ノート  サツマイモ 米軍 黄砂 アンデス産 パパイヤ・ジャガイモ・葉野菜・人参 防災訓練 ブログ クイーンざまみ 耕作地 シャープ株式会社 座間味島自然 大和馬 阿佐地区 宗教 大陸性季節風 梅雨あけ 阿嘉島 ネズミ年 生年合同祝い 歴史 ウガンジュ 沖縄県僻地研究大会 出張 気象キャスターネットワークパパイヤ光太郎 NPO法人 歴史文化 宜野湾市海浜公園 総決起大会 宮平春子 教科書検定 南風原町文化センター 

戦争の話5回目です。

座間味
うりずんです。
 5 アメリカ軍空襲(23日状況)
 翌日より相変らず軍民共防備の仕事に着く、10月10日以来全く其の姿を見せなかつた敵機が1月22日午前八時頃より突然姿を表し前回と全く同様に港内碇泊の船舶だけに攻撃を加えられて5、6隻の船舶が炎上してまたたく間に水中に没してしまつた。陸上には何の被害も無かつた。

 3月23日今日も1月22日と同様短時間の空襲があり被害は船舶1隻撃沈されたのみであつた。
当時、軍は離島苦のため食糧に懸念して食糧増産を企画し男女青年団並に国民学校高等科生の協力を求めて未開地の開拓のため俗称「マチャン」に行き作業開始後約1時間にして突如頭上を小型機(グラマン)四機が通り過ぎて隣村の渡嘉敷島に爆弾が投下されて始めて敵襲だと知り、

 そして見上げた上空には無数の敵の機影を発見した。おびただしい其の数に青年団、並びに生徒達は、只、茫然と立ち尽すのみ、我にかえって見れば座間味部落方向からは赤黒い如何にも気味悪い煙が大きなかたまりとなって大空高く舞昇って行く、

 途端に全身の力が抜けて頭がふらふらとなって、めまいを感じた者もいた。永年、住み馴れた我村は、我家は、又、家族はと其の安否を気遣うだけで其の場から動く事すら出来なかつたと言う。青年団及び生徒等の心情が察しられて断腸の思いがするのであつた。

 生命の危険は毛頭考えられない。其の内に部落全体を破壊し、見える敵機は周辺の山々に攻撃を開始した。最初に「ガソリン」を撒き散らして其の上に空襲と来たから堪らない。たちまち山全体が火の海と化して仕舞った轟々たる火の燃える音、爆発の音が入り乱れて何とも形容する事が出来ず只、我を忘れて見入るばかりであつた。

 癒々、周囲の山々が炎々と燃える頃になって始めて身の危険を感じ、慌て
深い谷間に難を避けたが極度の絶望感に1人として口をきく者もいない。
深い物思いに時の経つのも全く解らない。其の間、猛撃を繰返した敵は1機去り2機去りついに夕刻迄には全機引揚げてしまつた。1刻も早く部落の被害の状況を知り、走る心を押えて谷間を飛び出し皆、帰途に着く。

 作業隊は家族を案じて途中、坂道を駆足で急ぎ、家族は又作業隊を案じて迎えに来る。出会ってお互いに無事を喜んだ。部落の事を聞き、家族はこちらの事を聞き、お互いに1刻も早く村全体の状況が知りたくて急坂を大急ぎ峠迄来て見下せば、これまた何とした事だ、

 兼ねて覚悟はして居たとは言へ今目のあたり見る所の我が村の有様はこれが今朝迄各戸とも石垣で囲まれ整然としていた我が村なのか。山麓近くの学校は屋根も軒も皆崩れ落ちて炎々と燃えて居る、村中は殆どの石垣が散乱し崩壊の状態だ、家は全壊炎上、大破、中破、其の被害たるや全滅、

 その通りである。泣いても泣けぬこの惨状に皆が失神状態になり乍らも漸く各自の屋敷に帰った。住むに家なく全住民は其の日から早速防空壕住いである。不幸にも当日住民23人の死者を出し、傷を受けた人の数も相当あつた。
  
写真は戦後の座間味集落です。

昭和30頃

テーマ : 沖縄 - ジャンル : 地域情報

<< 戦争の話6回目です。しばらく続きます。 | ホーム | 座間味村の戦記第4回目です。 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

人気ブログ

 BLOG TOP