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座間味島の戦争体験者の話です。

座間味
うりずんです。
  ヌンルンチ家の故宮平初子さん(当時16歳)の戦争体験記をその全文を紹介します。
 「明日は米軍が上陸するから、民間人を生かしておくわけにはいかない、いざとなったら、これで死になさい」と手榴弾が渡された。

 その頃から、兵隊達は頭に日の丸のハチマキをしめている。しかし例え手榴弾を手にしても、怖くて死ぬ気になんかなれない。その時の時間は午前4時と思われた。

 私たちは、いつまでも、ここに残っていてもどうしょうもないので、自分たちの壕で玉砕しょうと再び引き替えしていた。私たち姉弟3人は父母の後を、ただいわれるままについていったんです。

 夜明け方、何となく外が騒々しいので、朝鮮人でもいるのかなと思って耳をすませてみると言葉が何となく違う感じがする。もしかするとフィリッピン人かも知れないと思い、 入り口を開けてみると、米兵が入り口の前にずらりと並んでいたのです。

 あまりの数に私たちはびっくりして、さっさと死ななければと思い、まず父がかたい縄で私たち4人の首をしめたが、なかなか死ぬことができない。これではだめだと思い。今度は父が南洋から持ってきたカミソリがあったので、それで首を切ることにした。

  まず初めに、母の首を切り、次に私の首を切ったのです。私は何かノドもとをさわったかなと思うと同時に、なま暖かい血が胸を流れはじめたため、その時、首が切れたんだなと思った。そして次には、弟、妹という順で切っていくと、母が「まだ死ねないから、もう一度切ってごらん」というので父は、それではと再び母のノドもとを切りつけた。その時に弟は「おとうさん」一言を出して、そのまま倒れてしまい出血多量で死んでしまった。

 最後に父も自分の首を切っていた。昼の近い時間と思われた頃、米兵と父の友人が私たちの壕の中に入ってきて、その人が父の名前を呼びながら「どうしてこのようなことをしたのか」夢うつつに聞こえていた。

 それから私と弟の二人は死んだものだと思ったのか、二人は壕の前の道に引き出し、父母と妹の3人を運び出していた。
  それから夕方頃、何かあたりの騒々しさに気がついたので、私はまだいきているのだなと思っていたが起きる気力もないため、そのまま目をとじて道に投げ出されたままになっていたのでした。

 上記は宮平初子さんの戦争体験記を沖縄県平和記念資料館のほうでまとめて資料室に展示されているのをそのまま、まとめたものです。
  宮平初子さんの生前の時に聞いた話ですが、ノドを切られて後、意識を失ったのですがアメリカ軍に収容されて介護処置されて生き返ったとのことでしたが弟はなくなったのでした。。

テーマ : 沖縄 - ジャンル : 地域情報

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