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座間味島に住むある老人の満州での戦争体験話です。

座間味
うりずんです。

座間味村元村長宮里正太郎さんの満州での戦争状況の話を掲載しました。


 3月26日遂に米軍が、我が郷土座間味島に上陸、当時私はハイラル東山家族診療所勤務でラジオ放送で知りました。

 新聞にも慶良間海峡に無数の米軍の艦船が碇泊してる写真が出ていました。

 とうとう沖縄も戦場になったのか、座間味の戦況が気になる。家族の安否は村民の事が、ただ無事を祈るだけ、夜中に屋外に出て島の方向に向かい手を合わしました。

 4月1日 米軍沖縄本島上陸する。

 5月1日 衛生下士官候補者を命じられハルピン(哈爾濱)第一陸軍病院に教育のため派遣されたのです。

 5月2日ハルピン着、教育途中、突如ソ連軍が不法に満州国に侵入、日ソ海戦となったのです。

 そのため直ちに病院での教育は中止終了、即日原隊復帰を命ぜられて、ハイラルの原隊に帰る途中列車はシャラントン駅に停車、その時、私は駅の周辺を見たら多くの避難民が北の方(国境の方)から南に移動して来た人々や、これから南へ移動する避難民で右住左住のごった返しの様相を見て私は胸がつまり涙が流れ出しどうしょうもなかったのです。

 (何で涙が出たかわからない複雑な気持ちでした)又、その時、思いかけずに私達の部隊の兵隊に会い、 どうしたのかと聞いたら部隊はここ シヤラトンに移動、野戦病院を開設しているとのことを聞き急いで装具をまとめて下車して部隊に復帰しました。私は小学校で分院を開設していた分院の炊事班長を命じられ勤務についたのです。

     7月1日  衛生伍長を拝命
     8月9日  ソ連対日宣戦布告
     8月15日 終戦 

 当日の昼頃部隊命令で下士官以上は市内の市民病院に集合、天皇陛下から重大放送があるから聞くようにとの事で病院に集まり玉音(放送)を聞いたが電波が悪くて私達には何の事か良くわからず部隊に帰ったら、日本は無条件降伏した。日本は負けた。戦争は終わりだという事を聞き意気消沈、何か全てを失った気がしました。

 しかし「ああ生きられた」という実感もわいたのでした。

 8月16日部隊は直ちに移動8月17日 富拉尓基(満州の地名)着時に武装解除、8月21日チチハル(斉斉哈爾)陸軍病院着、休息、次の命令がある迄ゆっくり休む様にとの命令があり、又、病院内から決して外には出ない様にと事で「日本は負けたので満人が何をするかわからない」何の勤務なくただ食っては寝、食っては寝、だけしていたら体が動きたくなくなり、動かなくなり、これは大変だという事になり古年兵も飯上げ(炊事場から
食事を運ぶ事)等の雑役もやる事にしたのでした。

 何の事もなく、日時は過ぎいつ日本に帰れるのか、そればっかり考えていたら、しばらくして捕虜としてソ連へ連れていかれるという事になり、これは大変だ、これから冬を迎えへるシベリアで抑留生活 零下30度以下になる土地でどう生きて行くか全く予想もつかない、ただ心配だけでありました。

 11月16日 愈々ソ連へチチハル出発列車は有蓋貨車で内部を二段作りに改造してストーブを置いた古ぼけたものでした。11月25日 満州里経由ソ連領に入る。列車は真っ白な雪原を昼夜とはず、ただ走り続けているのでした。

 東に行くのか西へ行くのか全くわからない遠くに海の様な霞んで見えると、海だ、海だ、日本に帰れると騒ぎたてるし、しかし、その海はいつになってもこない。ただ聞こえるものは「コトン・コトン」という列車と路線の継ぎ目にすりあう寂しい音だけがいつ迄も続いていました。


   私の軍歴部隊の移動年月日等は厚生省に保管されている
   私の旧軍人普通恩給請求時に厚生省より送付された履歴の写しにより記載しました。

 入 隊 昭和17年1月10日広島に集合現役兵として。
     福州ハイラル第8国境守備隊第1地区隊に入隊(681部隊)
     4月1日ハイラル第一陸軍病院(321部隊)転属。

 復 員 昭和23年12月23日舞鶴上陸。

昭和17年1月10日   二等兵……………現役兵として第8国境守備隊
                       第一地区隊に入営(集合地広島)
  昭和17年1月12日……………………………宇品出発
  昭和17年1月14日……………………………釜山出発
  昭和17年1月16日……………………………安東通過
  昭和17年1月18日……………………………ハイラル着隊
  昭和17年4月1日………………………………ハイラル弟一陸軍病院に転属
  昭和17年6月1日………………………………衛生一等兵
  昭和18年1月10日年…………………………衛生上等兵
  昭和19年1月10日……………………………衛生兵長
  昭和20年5月1日………………………………衛生下士官候補者を命ず
  昭和20年5月1日………………………………ハルピン第一陸軍病院に派遣
  昭和20年5月1日………………………………ハイラル出発
  昭和20年5月2日………………………………ハルピン着(浜江省)
  昭和20年6月30日……………………………教育終了
  昭和20年6月30日……………………………ハルピン出発
  昭和20年7月1日………………………………ハイラル着隊
  昭和20年7月1日………………………………衛生伍長
  昭和20年7月20日……………………………関東第26病院と改称
  昭和20年8月9日………………………………ハイラル出発
  昭和20年8月9日………………………………札蘭屯着
  昭和20年8月16日……………………………札蘭屯出発
  昭和20年8月17日……………………………富拉尓基着
  昭和20年8月18日……………………………富拉尓基武装解除
  昭和20年8月20日……………………………富拉尓基出発
  昭和20年8月21日……………………………チチハル着(龍江省龍江県)
  昭和20年11月16日…………………………チチハル出発
  昭和20年11月25日…………………………満州里経由入ソ
  昭和23年12月20日…………………………ナホトカ出発
  昭和23年12月23日…………………………舞鶴上陸
  昭和23年12月23日…………………………復員
  昭和24年2月……………………………………旧正月の2日に座間味島に生還

写真は立っている人の右の方が宮里正太郎さん満州での写真です。
宮里正太郎


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