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座間味村の55年前の出来事です。

座間味
うりずんです。

 座間味村において今から55年前、昭和32年6月30日に起きた座間味村の南海域で起きた大きな事故、戦争当時日本軍の艦船の魚雷によって米軍の艦船八千㌧クラスが撃沈されて戦後放置されていました。

 又、座間味村は戦争当時激戦地として悲劇の島ともなり、慶良間諸島海域はスクラップの残骸が多く出ました。

 昭和25年に勃発した朝鮮戦争によりスクラップの値段が高騰し、それを回収のために沖縄県内各地域より座間味村にスクラップ業者が回収に訪れて人口が増加するなどして座間味村は妙な経済的現象がおきたのでした。

 南北戦争は昭和28年7月に休戦となったが、スクラップ回収事業はそれでも続けられていました。

 その年の6月30日午後6時に大爆発がおき、水しぶきが二百㍍舞い上がった。その時の出来事が当時の琉球新報新聞記事が座間味村座間味区の在住の宮平敏勝さん(当時の名前光雄)(八十四歳)が入手して当時を振り返った。

 「私はその日、学校の校長と教頭3人で引縄釣りに出かけて午後6時頃帰る途中、阿嘉島の沖合でいきなり青い閃光が三回爆発して水しぶきが二百㍍程あがり原始爆弾でも落ちたのかと思いました。

 当時はスクラップ回収事業が盛んな頃で、伊江島の人達と糸満の漁民達が米軍の艦船が沈没しているのを探しあてて、回収作業を32人で行っていました。

 その作業中にいきなり船が大爆発をおこし全員が藻くずになったのは生涯忘れることはないでしょう。

 島の人々は誰一人ともスクラップ回収事業には参加していませんでした。事故詳細については誰も知りません。ただ現場近くでの直接爆発を見たのは現在では私一人だと思いますと」と語りました。

DSCF3951.jpg




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