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今日3月26日座間味村において慰霊蔡がありました。

座間味
うりずんです。

 本日、午前10時より12時まで自由参拝による慰霊祭がありました。

 今から67年前の3月26日に座間味村に米軍の艦隊2000艦隊と186,000人の米軍が座間味村海域に押し寄せて米軍が上陸して座間味村は大変な悲劇の島となりました。

 そのことから本日慰霊蔡が行われて村民や観光客が約60人程が参拝しました。

 参拝客の中に大分県の家族が4名が座間味村の今日の日の慰霊祭に参加した親子4人が座間味村で亡くなった人達の冥福を祈っていました。

 この方は座間味村の座間味島に陸軍海上第一戦隊第二中隊長として座間味島の戦場に送り込まれて、斬り込隊として戦死を遂げた阿部直勝さん(当時23歳・大分県北海部村出身)の親族達4人で阿部叔父さんの冥福も祈っていました。


 阿部さんは第2中隊の31人の隊長で当時3月26日に米軍が夕刻に座間味島の阿佐地区の山岳に基地を構えているカ所に斬り込み隊として戦闘を始めたのでした。慶良間戦に置いては唯一の戦闘だったのでした
その時に米軍の機関銃を奪い取り米軍をを何名か射殺したのでした。
 
 この戦闘状況は米紙新聞に大きく報道されたとのことでした。

 戦争証言集
             座間味村字阿佐  宮平春子
  潔く死のう
 忘れもしません。
 昭和19年9月10日に,1500名の日本軍が座間味島にやってきました。

 私達はそれを見て、沖縄もとうとう戦争に巻き込まれて行くという不安が日に日に募っていきました。

 日本軍はこの戦争が長期戦になることを予想して、島民食料の増産や防空壕ほりにかり出すなど、私達は毎日が戦争の備えに明け暮れる日々でした。

 翌年の昭和20年3月23日、恐れていたことがついに現実のものになってしまいました。米軍による容赦ない空襲が座間味島に開始されたのです。

 空襲は翌日まで続き、更に海からは数知れずの大艦隊からの艦砲射撃を受け、その後座間味島は見る影もないほど焼け野原に変わってしまいました。

 戦前は、鬼畜米英の捕虜になって辱めを受けるより玉砕すべしと教育を受けていた私達にとって、米軍の上陸は死を意味するものでした。

 当時座間味村の助役だった兄の盛秀は産業組合壕に避難し、私は父、母、妹、兄夫婦とその3人の子供達親類約30人と別の壕に避難しておりましたが、米軍が上陸するのは時間の問題でした。

 夜になって私達が避難している壕に兄がやって来て。「米軍が上陸するのは間違いないので、玉砕するよう軍から命令があったので潔く死のう」と父に話ししていました。

 驚いた父に兄は、「親孝行出来なかったけど、あの世に行って孝行するからね」と言いながら、そばに居た3人の我が子を抱きしめ、「ごめんね、こんなに大きく育てて、軍の命令で亡くすというのはほんとうに悲しい生まない方が良かったのか、お父さんが一緒いるからね」涙を流しながら語りかけていました。

 それから、兄は父と最後の水杯を交わしました。

 住民の集合時間となった午後11時半合わせ、私達は集合場所の忠魂碑に向かって行きましたが、照明弾が上がり集合場所であった忠魂碑が艦砲を受けてしまったため、座間味区民全員での集団自決は失敗に終わり、区民は各壕での自決に入っていきました。

 私達は兄夫婦と子ども達2人が入っていた産業組合壕に入るつもりで移動したのですが、その壕は、すでに多くの区民でいっぱいとなっていたため、私達は壕へ入ることができませんでした。

 たまたま、母になついていた兄の子どもは、壕に入ることができませんでした。そのことが、私たちの運命を分けることになろうとは、思いもよりませんでした。

 兄の家族は、産業組合壕で自決して全員が亡くなり、私たちは生き延びることが出来ました。

 戦後67年が経てしまいましたが、今でもあの事を思い出すと涙がとまらず、無念の思いがこみ上げてきます。

 最近の歴史教科書の検定結果は、沖縄戦の本質を覆い隠すものであり、絶対許す訳にはいきません。

 将来を担う子ども達には、集団自決で多数の犠牲を出したという事実は事実として正しく伝え、悲惨な戦争を再び起こさないようにすることが、私たちに課せられた最大の責務と考えています。

 平和の塔です。DSC07935.jpg

 2人の男性は私の兄弟です当時高等科4年生と6年生で激戦の中を生き延びた2人でした。
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 4人は阿部直勝さんの親族達です冥福を祈っていました。

DSC07942.jpg

 4人は阿部直勝さんの刻銘された碑の前での撮影です。

DSC07947.jpg

  今年度19人の方達が判明されて刻銘されました。
DSC07938.jpg
 

 



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