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座間味村の戦争の話です。

座間味
うりずんです。

 座間味村の戦争の話をします。

 平成7年3月20日の読売新聞に記事として掲載されたのをのせます。

 太平洋戦争末期、日本の陸軍が、米軍の上陸を阻止するために(マルレ)と呼ばれる水上特攻隊を組織していたことは、あまり知られていない。

 沖縄県座間味島で生き残った(マルレ)隊員らが26日、戦争で死んだ仲間や島の人たちの慰霊祭を現地で営む。戦後50年を機に、これを最後の慰霊祭にするという。

 陸軍の水上特攻艇は、ベニヤ板の小船に爆弾を積んで米艦隊に体当たり攻撃かけるもので、秘密保持のために「連絡艇隊」と称していたことから(マルレ)と呼ばれた。

 (マルレ)隊員は、沖縄、台湾、フィリッピンなどに15歳から20歳の若者約1900人、30戦隊が配置され、このうち約1200人が戦死したとされている。

 慰霊祭を営むのは沖縄本島の西にある座間味島に配備された隊員らと遺族で作る「座間味会」。3月26日は米軍が同島に上陸を開始した日で、日本軍は白虎隊を思わせる切込みで抗戦し、同島にいた(マルレ)の第一戦隊約百人中70人が戦死した。

 同会では戦場跡を「昭和白虎隊玉砕之地」と名づけ、毎年この日に慰霊祭を開くなどとしてきたが、今回は戦後50年に当たることなどから「座間味会」としての慰霊行事は今年を最後とすることになった。慰霊祭には連絡のとれた遺族4家族を含め、51人が参加する予定だという。

 当時、第一戦隊の上等兵で、長年、会の世話役を務めてきた千葉県の船橋市の高橋文雄さん(70)は、「会のメンバーが高齢になったこともあり、今回で区切りをつけることにした。

 しかし、これからも戦友と戦争で亡くなった人たちを供養していきたい」と話している。

上記のことは戦後50年目に読売新聞が平成7年3月20日に掲載された記事よりでした。
    高橋文雄さんは一昨年他界したとのことでした。(とっても立派な方でした)
    ご冥福をお祈りします。

  昭和白虎隊玉砕之地 入り口
DSCF7583.jpg

 昭和白虎隊玉砕之碑

DSCF7579.jpg

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