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座間味村の座間味島でのタキノボリ行事について。

座間味
うりずんです。

 座間味島の座間味、阿真、阿佐の三ヶ字区の伝統行事「タキノボリ」がこのほど、区民総出で盛大に行われました。

 各家庭はこの日は朝早くからごちそうを作り、阿佐区にある山の中腹にある拝所で、山の神々に家内安全、五穀豊穣、航海安全などを祈願する神行事がありました。

 琉球王朝時代の蔡温の時代に森林を保護するために行われた行事と伝えられており、三百年近くの伝統があるという。座間味島では三大行事の一つでもあります。

 住民らは阿佐区にある四つの拝所にそれぞれ分かれて訪れ各自が山の神に祈りました。

 又、各家庭において今年出産した子供達が山の神々に報告がなされ、健康でスクスク育つようにと祈願し行事に参加した人達全員に赤マンジュウが配られました。

 一番高い山麓にある配所の「ウフタキ」では例年と同様に住民や観光客も大勢参加して賑わいを見せました。

 席上「タキノボリ」由来などの話など関係者より聞くなどして四カ所の拝所では賑わいを見せました。

 四カ所の拝所を訪れた住民等は、午後二時頃には同じ阿佐区にある「殿」「トゥン」と呼ばれる拝所に集まり神々に礼拝し無事「タキノボリ」が済んだことを報告してカチャシィーなどを踊り遅く迄、賑わいを見せました。

      琉球新報社 座間味村通信員
    宮里芳和
お宮の前でお祈りをしている参加者達です・
sDSCN0019.jpg

  広場でご馳走をいただいている家族達です。この日は絶好の好天日和で最高でした。
sDSCN0020.jpg

座間味村でカジマヤーの行事がありました。

座間味
うりずんです。

 座間味 座間味村字座間味の大城澄江さんのカジマヤー(数え97歳)祝いが10月9日に、自宅近くの広場において、村民や・親戚が200人程参加する中、盛大に開催されました。

 祝賀会に先立ち午前中は、座間味地区内を道ジュネー(道路パレード)をして、住民の祝福を受けました。

 道ジュネーは自宅前を出発し、集落内の各部所の七カ所でカチャシィー等が区民により行われて賑わいを見せました。

 特に座間味港入口においては本土と外国の人達の見学もあり、同祝い行事を珍しそうに見ていました。

大城さんは元気良く会話する元気者だと住民は語っていました。

 大城さんは大正九年の生れで、3人の子供と17人の孫、ひ孫などに囲まれて日々を楽しく暮らしているとのことでした。

大城さんは沖縄戦の時は25歳で、座間味島は米軍の最初の上陸地となり悲痛の思いで戦禍を生き延びてきました。

 一時は自決を図ったが手りゅう弾が不発で失敗し、終戦を迎えました。

 戦後同じ座間味島出身の四郎さんと結婚し、夫婦ともどもに座間味村のカツオ魚の基幹産業に貢献してきました。

 その後、四郎さんが他界し、女手一つで子供達の教育、子育てに頑張ってきました。

 カツオ漁業がなくなった後、座間味小中学校の用務員となり、一家を支えてきました。

 大城さんは絶えず笑顔があり、地域の人たちに大変親しまれてきました。

 そのこともあって今回の道ズネーは上原座間味小中学校長の特別の配慮で学校グラウンド内の中もパレードが実施されて関係者たちから大変よろこばれました。
            
   琉球新報社座間味村通信員
宮里芳和

   大城澄江さんです孫と一緒に道ズネーに参加していました。
sDSCN9793.jpg

  

座間味村の慶留間島よりハイタイです。

座間味
うりずんです。

 座間味村よりハイタイです。
 座間味村立慶留間中学校
 二年生・安藤明心さん(十四歳)
 座間味村立慶留間中学校
 二年生・武田有喜さん(十四歳)

慶留間小中学校では平成二十五年より東京の国士舘大学をとおして留学生度による受け入れを開始してきました。前年度は二人と本年度は四人の合計六人が留学してきました

 東京より来た安藤さん「慶留間島は住民が大変優しくて自然が素晴らしい全てのことに集中して頑張ります」神奈川県から来島した武田さん「今まで先生になることを目標にしてきました教員の資格をとり沖縄県内の離島での教員になることを考えています出来たら慶留間校に希望しますと」述べました。

 二人は運動会の種目の沖縄のエイサーは全員で踊りましたが最高の気分になりました慶良間諸島は最高です。特に慶留間島の全てが大好きですと二人は語った。
      力強いエイサーを踊ってくれました。

     座間味村通信員
   宮里芳和
右が武田有喜さん  左が安藤明心さん
s安藤さん武田さん

座間味区におきまして海神際がありました。

座間味
うりずんです。

 座間味島の三ヵ字区において海神際がありました。

 座間味区(宮平賢区長)では三十日、恒例の海神祭行事が区民が約三百人程参加する中盛大に開催されました。
 
 毎年この時期に海神祭は行われるが当初の開催予定日は九月の二十八日であったのだが、台風十六号の接近に伴い三十日に変更されての開催となりました。

 その日は絶好の祭り日和となり、参加者も例年にない大勢の村民や観光客が参加となり、午後一時に行列行事(道ズネー)によりスタートとし、各四カ所の拝所の前では、座間味小中学校児童生徒達による全員でのエイサーも拝所の神々に奉納披露されました。

 叉、座間味区婦人会や青年会もエイサーやカチャーシーなどの踊りも出て大変な賑わいも見せました。

 その後、座間味港内においてハーリー競技も行われて職場対抗や観光客なども飛び入り参加して港内は太鼓やハーリー鐘などか響き渡り大勢の観客の歓声となり、白熱化した競技となりました。

 最後の東西のハーリー競技は東の方に凱旋となり、喜びに沸きましたた。 

座間味島の三ヵ字区対抗も今年度から行われて阿真地区が優勝しました。

 叉、夜の部として海の神様を祭った(イビノメー)お宮の前の広場で集まり、最初は全員がそれぞれに神様の前において各家庭の家内安全や五穀豊穣・航海安全などを祈願し参加者全員一同が会し夜おそく迄、賑わいを見せました。                
   座間味村通信員
宮里芳和

みるく神のふん装した座間味区の青年です。誰なのか私もわかりませんでした。
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座間味島3カ字区の座間味・阿真・阿佐区において敬老会の合同祝いがありました。

座間味
うりずんです。

 座間味島において敬老会の合同祝賀会がありました。
合同祝いにおいては座間味幼稚園と座間味小学校の生徒達が素晴らしい。演技して頂きお年寄り達は大変喜んでいました。

 そしてお互いの親睦交流もしっかりと結ばれていました。

私が区長を、先月退任しましたが、新しい宮平賢区長さん立派に敬老会を行いました。

大変ご苦労さんでした。
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座間味村の戦争の話です。

座間味
うりずんです。

 座間味島戦争記録

1 座間味村の隣保班(りんぽはん)

 昭和12年の日中戦争以来、日本国内では物資欠乏とインフレで長期攻戦が告げられるようになった。アメリカの経済制裁を日本国はうけることになり、とくに石油を中心とした戦略物資に不足をきたしたのである。それを打開するため、日本は豊富な資源のある南方諸地域に目を向け、「大東亜共栄圏」構想を打ち出した。そしてその開戦初戦として、ハワイの真珠湾に奇襲攻撃をかけたのである。

 村民はフイリッピン空襲、マレー半島占領、シンガポール爆撃など戦況朗報に産業組合のラジオの前に集まった住民達は歓喜にあふれたのだ。その日は夜になると集落内を提灯行列し、次の朗報への期待に胸を膨らませていた。

 この頃から隣保班が設置されて戦争への認識体制が構築されていった。

 座間味村では隣保班として座間味に16班、阿佐2班、阿真2班、阿嘉9班慶留間4班が組織された。会議は隣保班の上部組織として位置づけられ、毎月1日に44名の人達が集まり会議が行われた。

 構成メンバーは各班の班長と村内の有力者で組織されていたようだ。
   常会には次のように「誓」の言葉があった。

  ささやかなこの集ひながら、必ず王国の礎としておおきな
    役目を果たします。

  この集ひにおいては、お互いに私を去って語り合ひ、唯ひとすぢに
    皇国につくす覚悟を固めます。

  この集ひによって皇国に生まれた喜びを新たにし、一丸となって
    大御心に奉らんことを誓います。

 という内容のもので、住民達の行動が、細分化された隣保班は大政翼賛会の直接の指導があり、産業組合をとおした配給物資の割り当て、軍需用に使用する古鍋・古鉄供出、出兵兵士入営激励と見送り、「英霊の」出迎え、食料増産へとせわしくなっていった。

 ◎大政翼賛会(たいせいよくさんかい)
「1940(昭和15)年10月、近衛文麿総理大臣を中心に、新体制運動推進のために創立された組織。総裁には総理大臣が当たり、道府県支部長は知事が兼任するなど官製的な色彩が濃く、翼賛選挙に活動したのをはじめ、産業報国会・大日本婦人会・隣組などを傘下に収めて国民生活のすべてにわたって統制した。1945年国民義勇隊に再編され解散した。」

  戦争のために建立された忠魂碑です。靖国神社と同じ位置づけで戦争に亡くなった島の人は一人は祭られてるとの話を聞いています。
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座間味島の大浜地区にバンの親子がいました。

座間味
うりずんです。

 座間味 15日の午前11時頃、座間味村の座間味島阿佐地区の大浜原にある池の中で野鳥のバンが浮いて泳いでいるとの情報で現場に行ったらバンが3羽いました、

 1羽は子供バンで、座間味島の野鳥の会のメンバーが前はこの一帯に良く見かけたが最近において久しぶりのことだ。と語った。

 座間味村は山岳地帯が八割をしめしていることから野鳥は多く生息しているが水鳥は珍しい。このバンは親子なのでしばらくはこの水域で暮らすようだ。

 最近においてシラサギやツバメなど数多くの野鳥が飛来してくることから観光客たちにも大変喜ばれている。

  バンです。
sDSCN9503.jpg

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